今という器の中から

過ごした時間を振り返る雑記ブログ

20180930

 今日の良かったこと、台風が来ていつもと違う風の音が聞けた。昼まで寝ていられた。停電の時間は短くて冷蔵庫のものが駄目にならずに済んだ。

 男らしさは自己犠牲らしい。自分より大事なものがこの世に見つけられていないので、俺が男らしくないのも当然の帰結だろう。余裕のある生活をしたい。自分を犠牲にしない生き方をしたいと思ってしまう。それは遠回しに他人に負担を押し付ける生き方かもしれないが、自分には自覚がないし、自己犠牲のできる他人が受け止められる分だとすればそこを頼りたくなる。人生の理想について毎日のように悩んでは、答えに近づけないまま明日に逃げている。やりたいことはやれるものはやっているつもりで、結果として大してやりたいことでもなかったんだろうなあと空しくなる。人生に放つ銀の弾丸は今も見当たらなくて、かといって肯定できるような毎日も送れないままでいる。毎日のことを少しでもよくしようだとか、足りないものを少しでも埋められるように努力しようだとか、仏教的な感覚で言えば足りないものに目を向けているから幸せになれないのだろうが、自分にとって足りないものは足りないものであって、悟りを開くまではまだまだ遠い。

 来月で一人暮らしを始めて二か月になる、確か。そろそろ自分の生活費も見積もりが出来てくれればいいのだが、まだそのレベルまで至っていない。銀行通帳もなくしてしまって貯金残高も銀行から幾ら光熱費が引き落とされているかも何もかもよく分かっていない。平日に銀行に抜け出す機会がない。来月くらいに有給が付くような気もするが、わざわざ有給を使うほどのものだろうか。そんなの俺にしか分からないんだろうけど。将来のことは分からないが、とりあえず今どれくらい切迫しているのか、余裕があるのかないのかは分かりそうな気がする。今月はご祝儀でかなりマイナスが出ていて、俺は友人の結婚式も控えなきゃならんのかなあなんて考えている。というか一人暮らし手取り10万で結婚式に行こうと思うのが土台無理な話だ。

 筋トレはお腹と腕だけどうにかしたい。全身鍛えるような気力はない。筋トレは自己肯定感に繋がるらしいのでなるべく手を付けていきたい。自己肯定を養うのはきっと俺の人生にも関連することだろう。自分の体から離れて生きることも今のところ出来ないので最低限メンテナンスをしていくべきなんだろうなあと思う。思うまではいっても行動まで橋渡し出来ていないのだが。終了時間は風呂に入る前として、どんなメニューをどれくらいするべきなのかとか、その頻度だとか、どれくらい時間がかかってそのためにはどの時間には始めないといけないのかとか。近所に公共のランニングスペースがあるのでランニングも手を付けられたらいいなあと思うのだが、以前買ったランニングシューズはソールがはがれて使えなくなってしまった。後は人の目が気になる。これに関しては自意識過剰だとは分かっているのだが、金に余裕があれば上下揃えて買いたいなあ。まあ、そんな余裕が出来ることがないからこのままなんだろうけど。

 料理はレシピを見ないで作れる料理が一週間分くらいあるといいなあと思う。一週間に一回くらいは総菜で済ませたいし、一週間に一回くらいは新しい料理に挑戦してみたい気もする。平日は肉4、魚1くらいの割合で献立を決められると、自炊してるっぽさが個人的に増すので挑戦していきたいと先週も書いていた。進捗ゼロ。卵焼きに失敗したのでリベンジしたい。お好み焼きも同上。野菜は買い込みすぎていつも駄目にする間際になるので自制したい。あと一回で作る量も失敗することが多いので気を付けたい。特に肉料理。一人分じゃ足りないのだが二人分作るといつも後悔する。何か考えたい。保管も個人的には管理が難しい。楽はしたいが美味いものは食いたい。とは言えお金をかけていると生活が立ち行かない。魚料理は大抵嫌いなのでシチューだとかその辺りのささやかな抵抗を考えていきたい。南蛮漬けも食べたいと思っていたけど時期は過ぎてしまったんだろうか。

 掃除。結局風呂掃除やんなかったな。やんなかったと書いている今もやりはじめれば15分もかからずに終わるだろうと頭では分かっていても手を付けていない。そういやご飯も炊いてない。部屋を綺麗に保ちたいという意欲はある。上手くいっているかは別としても。掃除。割とどうでもいいな。

 仕事。無理。上手くいかない。難しい。慣れる以外にどうしろって言うんだよと心の中で叫びながら、試せるものを試している。ワークフローを文章化してみたり、タスクの所要時間を記録して次の見積もりが少しでも正確になるように努めてみたり。正直あと二年はまともに回せる気がしないし、派遣なのでそもそも二年後いるかどうかさえ分からないし何してるんだ俺お荷物じゃんという思いが拭えない。ここにいるべきじゃないと感じながら働くのもストレスだが他に充てがあるわけでもない。そもそも俺が有能なら何も問題がない。方法論をうろ覚えで学んで体に落とし込む作業にどんくらい掛かるかってところだ。ストレスが溜まる。俺にとっては平時の全力以上だし、それだけしてるように思っても特に報酬はない。手取り10万あるだけでもありがたいとは思うが、それで俺の欲しいものは手に入らないし生存で精いっぱいだ。労働のための生存。まあ社会構造としては最適だろう。弱者の人生なんてそんなもんだ。モデルが足りないのは言い訳で、まずもって俺のスキルが足りない。ストレスの原因はそこだろう。俺のスキルが俺の想像に辿り着いてないのが腹立たしい。だからどうすりゃいいって目星が自分の中で立ってない。この道具とこの道具とこの道具と使ってみてそれでちょっと時短になるのか質が上がるのかってのの繰り返しをしている。小手先のテクニックじゃ無理だなあという予測ではある。かといって短期間で俺自身が本質的に成長するかっていえばそれも難しいことだと思っている。

 洋服も一週間分くらい新調したいなあと思うが、そんな金の余裕もねえなということで後に回すしかない。気に入った服がないと出かけるのも億劫になる。洋服に関しては情報を得たところで金がないとどうしようもないしなあ。出来ることがない。

 読書。気が向いたらKindle Unlimitedに登録する。本屋に行けば気になる本もあるのだろうが、これも金がない。ネットであらすじとかエッセンスを拾えるだけマシと言えばマシな項目か。自分の業務に関係しそうな分野の本を読んではみたいなあと思うが、うん。直近ではファシリテーションとかデザインとかの本を読んでみたい。この辺の名著ってなんなんだろう。ネットでつまみ食いして満足するしかないか。会計とか英語とかも気になるとは毎年言っている気がするが、俺の業務には使わないし、自発的に勉強したこともないし、無駄になるだけだろうなあという霊感がある。自発的に行うってのが鬼門でこの土日も寝てばかりいた。ああ、セルフマネジメントとかストレスマネジメントとかレジリエンスの本も読みたいと言えば読みたい。まあ本当に読みたければ図書館に一回くらいは行っているだろうし、お察しだ。

 趣味。楽しいと思うこと。将棋で勝ったとき、夜中に音楽を聴きながら車を運転するとき、目の前で好きな人が笑っているとき、新しく聴いた音楽が好みの音楽だったとき、感動する文章に出逢ったとき。記憶もないような頃の自分の文章を読み返すとき。そういえば楽しいことリストを作ろう作ろうと思ってそのまま放置している。考えただけでしっかり実行に移さないところも悪いところなのだろう。受け取るものばっかりで与えるものがまるでない。まるで俺の人生みたいだ。他人の楽しいリストでも漁ってみるべきか。俺はリサーチが好きなんだろうか。どうなんだろうな。詩も書いてない。曲も作ってない。しょせん俺はクリエイターを名乗れるような人間じゃなかっただけ、それだけだ。それだけなのに悔しいなあ。その代替が見つかってないからなんだろう。けっきょく何者にもなれなかった。多くの人が何者にもなれないとしても。何なら自発的になれただろう。何なら楽しかっただろう。何なら面白かっただろう。

 目の前の問題は片づけなきゃいけないとしても、それ以外にも一本何か芯が欲しいなあと思うところだ。俺はどこに向かいたいんだろう。そのために何が欲しいんだろう。