今という器の中から

過ごした時間を振り返る雑記ブログ

20180924

 飲み会に行ったり結婚式に出席したりしていた。本当は書き残したいであろうときほど、書き残す時間は取れないし、そんな余力も残っていないのだろう。

 

 この頃の良かったこと、結婚式に出席した。人に微笑んでもらえる嬉しさを再確認した。明るい夜が好きだと再確認した。

 

 時間を取って、やりたいことリストの更新とか、幸せリストの追加をしたいと思った。

 

 情熱を探していた。見つからない。学生の頃、物事に二人で挑戦したことを思い出していた。ああ、アイツがいたから乗り越えられたのかと感じた。昔にもこれは書いていた気がする。アイツは大人になったが俺は子どものままだ。一人じゃなく誰かと仕事に取り組めればパフォーマンスが上がるだろうか。俺が今試してみたいのは仕事の分担じゃなくて協働なんだろうな。非効率だよな。非効率なものに向き合うときくらいしか期待が出来なさそうだ。これだけ孤独な生活を送っているからか。いや、孤独でもないのか。主観も客観もいらない。語るべき言葉などないはずなのに。

 

 最近は筋トレをサボっている。また習慣付けたい。自炊も週5を目指して頑張りたい。主菜肉4魚1でやれたらいいなと思うがいつになるかは分からない。

 

 金曜に友人に会い、土曜に結婚式に出席し、頭も体もモヤがかかって日曜、月曜と寝ていた。アルコールは一滴も入れていない。ただただ生きるのが苦しく思った。他人の幸福に触れたからだろうか? ひたすら惰眠をむさぼる。何もする気が起きなかったし、何もしなくとも俺の人生には何の支障もなくて、そのことがとても悲しかった。

 

 結婚式の帰り道、一人で式場を後にした。自分でもうまく言葉にはならない。留まればそこそこは楽しめたはずだろうに何かを拒否した。音楽を聴きながら夜道を帰るのは悪くない。歩くにしても運転するにしても。

 

 昔に比べれば大体のものが揃ってきている気がする。自分の無力さに向き合う機会も増えた。まだまだ足りない。俺はまだまだ無力になる。いらない可能性を摘み取って、人生への薄っぺらい期待を剥がしていく。本物の可能性が自分にあると信じたかったが、このままだと自分の可能性も全部潰えそうだな。

 

 不完全な人間を許容する度量がないことを強く認識する。ああ、独りになってもしょうがない人生だな。他人を許容するデメリットを受容しないんだから、他人を許容するメリットを享受する権利があるはずもない。笑うしかないな。

 

 俺は何で、何が。

 

 俺は何のために。

 

 社会と繋がりたいと思って、繋がりかたについて考えてみたが、こんな形くらいしか思いつかない。社会と繋がりたい訳じゃない。金が欲しい。コミュニケーションの質が幸福? コミュニケーションは独りじゃ成り立たない。

 

 俺が生きてどうなる。答えはない。俺は生きて何をしたいんだろう。俺が生きて日記を書いても、それは俺の中で完結してしまうし他人にとっては金を払うほどの価値はない。俺は生きて何を成し遂げたい? 俺は生きて他人に何を与えられる? 俺が死ぬことに納得できるほどのことって何?

 

 神様がいるなら俺に死を受け入れるだけの理由をくれ。人間として生き抜くだけの理由をくれ。幸せに生きたい。自分を可愛がりすぎか。それ以上の人生ってなんだよ。

 

 納得できるはずもないならこの気持ちのままどうやってパフォーマンスを保つかなんだろうな。出来ることは出来るし出来ないことは出来ない。迷子のままこの歳まで来ている。

 

 金と女と暴力。衣食住と礼節。自由。居住の分離。食欲、性欲、睡眠欲。人間関係の濃淡。

 

 方向は正しいはずだ。後は俺を許すだけ。

 

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#食事脂っぽい別にピーマンいらなかった気がする味は割と好みだった(ケチャップ2対醤油みりん1)

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#食事副菜の方が何故か量が多いゴボウは扱いが面倒だが美味しかった青椒肉絲風の何かもそこそこ美味いにんじんもピーマンも細切りの方が好み