20180917
今日の良かったこと、ノルウェイの森(下)を読んだ。女の人に飲み物を運んでもらえた。ゆっくりとした時間を過ごせた。
「おいキズキ、と僕は思った。お前とちがって俺は生きると決めたし、それも俺なりにきちんと生きると決めたんだ。」
ワタナベに憧れたのかもしれないし、永沢に憧れたのかもしれない。
車の修理に行って四時間ほど掛かった。静かな空間の中で飲み物を飲みながらノルウェイの森を読み進めていた。贅沢な時間なんだろうなと思った。これが俺の欲望だったのかは分からない。切り離された空間で読書をするなんて贅沢でしょう? 俺には分からないが。
小さな欲望を満たすことが大きな道に変わる、らしい。満たしたい欲望について考えてみても、セックスだとか金だとか車だとか時計だとか、俗物的なものしか浮かばなかった。そしてこれらは自分にとって小さな欲望でもなく、満たせる目処のある類のものでもなく、空しさが増すだけだった。
三ヶ月くらい生きていたつもりが、気が付けば半年ほど経っていることに気が付いてしまって、呆然としていた。ああ、俺はこのまま終わっていくのかと、当たり前のことを、受け入れたくない気持ちだけが浮かんでくる。
目の前のことが、しっかり見えているだろうか。俺が欲しかったのはこの生活か?
自分には人間が見えてないんだと思った。いや、小説を書く人間が見えすぎているだけなんだろう。他人を自分事かのように書き記す術は持ち合わせていない。
俺が望んでることを満たしたい。新車が欲しい。抱き締める相手が欲しい。本業を捌く能力が欲しい。本業の人間関係が欲しい。一発当たるような、俺の存在を満たしてくれる副業が欲しい。そのために何かしてるか? してないな? それを背負って生きる覚悟があるか? ないな? 欲しい物に向き合って生きる覚悟がないな? ワタナベに憧れるだけ。永沢に憧れるだけだ。自分に同情するなんて惨めでしかない。
自分と社会の接点を見出せずにいる。メタ認知能力がある? とんだ笑い話だ。どの口ならそんなことが言える? 俺の正しさって何だ? 自分と向き合わなきゃならない。他人と向き合わなきゃならない。その関係性と向き合わなきゃならない。ひとしきり満足したら選ばなきゃいけない。俺はどう生きるか。別に選ばなくたって生きちゃあいる。
きっと今でも満足しちゃあいるんだろう。くだらない見栄なんだろうな。今でも分相応よりは良い暮らしをしてる。それでも、もっと、もっとって。不完全なまま燻っている。もうとっくに燃え尽きているはずなのに。何を望んでるんだ。夢物語? 手を伸ばす気もないくせに。ならこれでいいんだろう。苛立って、疲れて、空しくって渇いてどうしようもなくて。これが正しいんだろう。これを引き受けて生存するんだろう。