今という器の中から

過ごした時間を振り返る雑記ブログ

20180428

 生きてる。価値観は生まれ変わっただろうか。戻ったという方が近いんだろうか。少し前とは違うような気でいるが、比較しようもない。人格は変わっていないはずだ。人生は変わっていないはずだ。地続きで生きてきたんだろうか。信じるしかない。明日はいつ来るんだろう。朝は不動産屋に行った。よく分からないままとりあえず出向いた。昔から電話や予約といった類の行動が嫌いだ。何でなんだろうな。一人暮らしに一歩は近づいたんだろうか。どうなんだろう。誰かが当たり前に行うことに足踏みしている。ささやかな話だけしていたい。責任とか権限とか、人生とか。その他もろもろの面倒事から逃げたい。一人は寂しい。知らない他人は煩わしい。知人は少なく、好きな人に迷惑は掛けたくない。苦痛よりは退屈の方がマシだ。だけど、退屈を望んでるわけじゃない。昼からはAviUtlを触っていた。動画を載せる。中間点という概念が分からないので使いこなせるように理解したい。フリー素材から拾ってくる写真を増やして表示時間を減らすか、テキストで間を区切って空間をつくるか、どうにかして間延びした印象を減らしたいと感じた。写真の表示のタイミングは音楽に合わせられるようになりたい。音楽と音楽ももう少しスムーズに繋ぐ方法が知りたい。エフェクトの種類や効果がいまいち分かっていない。使おうにもまだまだだ。ゴールデンウイークは用事もないのでぼちぼちやっていきたい。時間というタテの糸が欲しいなと思った。俺の人生に広がりはあるだろうか。今までの人生に意味はあっただろうか。今日の俺はあったと思うが明日の俺の振舞い次第ではすぐに溶けて消えるような淡いものだ。可処分所得、可処分時間、可処分承認といったようなツイートを見た。愛されたいなあ。愛情がないようなら大層な愛憎。あいおうああいおうああいおうああいおう。韻を踏めているかどうかは微妙なところだ。例え少しばかり好きでいようとも俺のことは理解されないし、何より好きでいようとも、俺は相手のことを理解できないらしい。断絶している。これもこの世にある少しばかりの絶望ではないだろうか。最近はネガティブに考えることが減った。思考を断ち切るのが少し楽になった。今でも俺は何を求めているというのだろう。ちっぽけだ。ミドルクライシスだとかいうこともあるが、この虚無感は更に深みを増していくらしい。退屈で収まるうちはマシか。


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