今という器の中から

過ごした時間を振り返る雑記ブログ

「人生の痛み止め」なんて書くと暗すぎる

 肩の力を抜いて生きたい。肩に力が入ってるわけじゃないが何かに怯えることなく生きたい。

 

 人生にクリアはないらしい。苦行だ。ある一点を超えたら幸せになるなんてことはないようだ、少なくとも自分の人生は。だからって全て捨てることも怖くてできない。

 

 それは命もだろうし、それは自意識もだろう。人が幸せになるということは、自他の境界線を無くすことに似ているのだろうと自分は思った。それは共同体に意味を見出すことだったり、子どもや神様や信念や研究に自分を重ねることだったり、無我夢中になることだったりなのだと思う。個人は死んでしまう。だから個人を超えたところにしか今の自分は理由を見出せていないのかもしれない。

 

 今の自分にとってはそういう生き方が強い生き方に見える。何故って問いに答えられないほど弱っちい似非科学なのだが。

 

 頑張らない生き方をしていると不安が押し寄せてくる。頑張っても大したことはできやしないし、成果や実績にもほとんど変わりはない。労力だけ考えたら頑張らない方が合理的な気もするのに、えも言われぬ影が追い回してくるような気がする。

 

 だからちょっとだけ頑張りたい。寝る前に怯えなくて済むように頑張りたい。人生が一点を一回だけ超えても良くならないなら、人生の一点を何度も超え続けたい。一日一回超えられれば寝る前は落ち着けるだろう。

 

 根本的な治療ではなく痛み止めのようなものだ。打ち続けなければならないし、きっと回数を追うごとに効能は弱まるのだろう。それでも何もしないよりはマシなのかも知れないが。

 

 何が効くのかはよく分からない。きっと睡眠を取ることだろうし、美味しいものを食べることだろうし、好きな音楽を聴くことだろうし、好きな人といることだろう。

 

 他人から何かを与えられることで自分の痛みが和らぐなら、自分も何かを与えることで、誰かの痛みを和らげられるようになりたいと思ったのであった。

 

 とは言え多くの人はそれなりに自分で何とか出来ていて、他人の事をとやかく言う前に自分で自分の世話をしなきゃならないんだろう。

 

 自分でつくれる人生の痛み止めを探している。それが他人にも使えれば尚いい。