今という器の中から

過ごした時間を振り返る雑記ブログ

20180430

 四月が終わろうとしている。思えば色々なことがあった気がするし、一瞬で過ぎ去っていってしまったような気もする。今まで見たことがないような世界を少し見ることができた。昔より幸せになるのは難しいと思っていたのが、短い間でも覆った。自分が何に依存しているのかも少しは自覚が出てきたような気もする。かといって完治まではまだ遠そうだけど。相変わらずこの世界はぶっ壊れてるなと八つ当たりをしてみたり、人間に感謝したり、自分の劣等感に苛まれたり、とても人間らしい日々を送っているような気がする。四月に始めてみたことと言えばAviUtlの動画編集だろうか。YouTubeを見れば中高生のつくったセンスのある動画がゴロゴロしていたり、自分と同じくらいの期間しか触っていないはずの人が数倍のクオリティの動画を挙げていたり、簡単に受容できない物事が転がっている。タイポが多い。疲れてるんだろうか。三月には将棋の三段を最終目標にしたいと言っていて、関連して動画を挙げてみたいと書いていた。成果は芳しくなく、三段を目指して二段に上がるところか、一級まで落ちかかっていた。そのときは何も関連付けられていなかったが、今になって振り返ってみると、AviUtlを使った将棋の字幕実況は多分もう作れるはずなんだよな。それをある種の表現だと考えるかどうかは微妙なところだが、するしないに関わらず、出来ないより出来るに越したことはないと自分では考えることが多い。色々な妄想が繋がっては消えていく。結局のところ、自分は昔より前に進めているのだろうか。人生に触れられている感覚がない。俺の人生を前に進められているだろうか。四月の終わりには不動産屋に行ってみた。一人暮らしをしたいと四年ほど嘯いてきて、いまだ足踏みをしている。他人から見れば、人間としては割とどうしようもない部類なんだろうな。俺の描く他人とやらは、俺のことを知らず、他人がどう思うかを考える必要のない人間らしい。馬鹿らしい。自分でありもしない仮想敵をつくって、何がしたいのだろう。四月分の日記を消していくかどうか迷ったが出来る限り残す方針で行こうと思った。機会があれば今までに消した分も復旧して行けたらなあと思う。俺が、抱えたくても、抱えられなかったものたちだ。他人は俺が思うほど誰かに興味がない。そんなもんなんだろう。何でも抱えられるわけじゃないが、まあボチボチ努力したいなと思った。短歌も気が付けば辞めてしまっていた。音楽も作ってみたいなあと思って、毎回のように後回しになっている。着手すればするほど、無様な自分に向き合わないといけなくなる。余裕のある時じゃないと無理だな。そんな日なんて滅多にない。それでもいいと思ってるのだろうか。そういえば今月は一回もカラオケに行ってないかもしれないな。FGO復帰したのも今月だったか。二部一章を終わらせてから何もしていない気がする。来月は一人暮らしを始められてたらいいなあ。後は一本くらい将棋のゆっくり実況テストが出来たらいい。スケッチのスライドショーも出来るかもしれないし、一曲くらいそれっぽい曲が作れるようになったら嬉しいなあ。有名曲のアレンジも出来るようになったら面白そう。どれもわざわざ労力を割くのは大変だろうけど、一個くらいは叶ってるといいな。気分が上がってるのか下がってるのか分かんねえや。