20181201
11月のことを振り返っていた。
このところ、タッチタイピングは上手くいってないらしい。また基礎から練習をし直すべきなんだろうか。
自分が最悪と評していた10月と同じくらい11月も問題を抱えていた気がする。悪化こそしていないが、上手くは回っていなかったなあ。
11月は初めて精神科に行った。ADHDの可能性はとりあえず否定された。次はHSPの可能性を潰していきたいなあと思う。精神科に行く気は起きないけれど。やはり注意欠陥の兆候は出ているようだ。例えばADHDの注意欠陥が興味への引力ならHSPの注意欠陥は思考のパンクなのだろうと思った。もし自分がHSPだと仮定するなら、思考がパンクしないようにするのが良いのだろう。外部の刺激を抑えたり、取っ散らかった思考の中から重要な事項が飛んでしまわないようにしたり、新しい物事に挑戦するためにはレールを引いたり、対面や口頭での情報のやり取りを文書に置き換えることを心がけることが必要なんだろうなと感じた。
日記として感情を記録することと同じくらいに、事実を記入することで行動を前に進めることも必要なんだろうなと感じた。記録は振り返らないと効果が薄いらしい。振り返りたくなるような楽しいことや面白いこと、次に繋がることを書きたいものだ。
外部の刺激を抑えるために、リラックスできるデスク環境が大事なんだろうなあと感じた。出来る限りデスクの上は片付けるようにしたい。視界に入る情報が多いほど、自分の思考のパンクに繋がる恐れがある。物もそれぞれ情報を有していると昔ミニマリストの人が言っていた気がする。職場くらいはミニマリストを目指したいものだ。あとは仕事において母艦がいる。万が一思考がパンクをしたときに帰ってこられるようにする必要がある。というか、どれだけ頑張ったところで今までの例を見れば思考がパンクするときはパンクする気がしている。記録を取ったノートだったり、チェックリストだったり、手順書だったり。注意欠陥全般において、焦らず立ち止まることが必要らしい。立ち止まる場所が必要だし、こまめに立ち止まってその分結果に反映させる必要もあるのだろう。急がば回れ。
改めて書き残すことの重要性を感じる。そしてまあ何とも情けないものだと思う。自分が普段からなあなあでもやってきたことが、一番の近道で、克服する方法だったのかもしれないなんて、俺は今まで何をやってきたのだろうか。
とは言えこれでまた全部問題が丸く解決するかと言えばその保証もないわけで、まだ不安は残ったままだ。借金玉さんのいうADHD向けの集約化(ぶっこみ)、一覧性、一手アクセスは非ADHDの自分の注意欠陥にも応用が利くはずだ。手の付けられる取り組みをボチボチやっていくしかない。どれだけ情報を整理できるかがテーマになる日もそう遠くないんだろうな。どうにか経験値を貯めていきたいものだ。
とりあえず書こうと思った。大事なものの取捨選択ができないので膨大な量になるか、ともすれば疲れ果てて書き切れないのかもしれない。あとから質が上がったり勘所が分かるようになるよう祈るほかない。