今という器の中から

過ごした時間を振り返る雑記ブログ

2020年3月の月記

 3月が終わっていた。特に何をしていたのかも覚えていない。
 何を書こうか迷っている。久しぶりにパソコンで日記を書いているからか、おぼつかない。
 仕事ではパソコンを使っているはずだが、それとはまた違う感覚だ。まともにブラインドタッチができないコンプレックスが顔を出している。
 曲がりなりにも職種はプログラマーとして入社したはずだが、一年経った今でも業務ではコードを掛けるレベルではないし、ブラインドタッチもできない。
 仕事中に何をしているかも分からなければ、家で勉強をしているわけでもない。ただただ運良く生きているんじゃないだろうかと思う。
 4月には基本情報の試験を受ける予定だったが、コロナの影響でなくなった。受かる自信もなかったし丁度よかったのか?
 昔はプログラマーになりたいと思っていた。20代も半ばを過ぎてその目標は叶ったのだが、その道の上に立っても結局は不満を述べている。
 ダーツは停滞してBフライトのまま。BBは遠い。上達するビジョンも見えない。調子が良かったころのプライドが捨てられないまま、もっとやれるだなんて思うこともある。
 結局、等身大の自分が見れてないままなんじゃないかと思う。ほんの一瞬をさも当たり前だったかのように思うのは滑稽ではないだろうか。
 久しぶりに将棋ウォーズを指しだして、初段から一級に落ちた。自分が弱くなったというよりは、全体のレベルが上がったのだろう。
 一番指していたころはもう4,5年前で、藤井君フィーバーの頃くらいに将棋人口が増えたような気がしている。
 母数が増えれば平均も上がるらしい。それでも何だか悔しいのは変わらないな。また初段に戻りたいが、どうだろう。
 仕事ができるようになりたいなあと思う。自分だけでも自分の生活費が稼げて不安がなくなるくらいに。周りに引け目を感じなくても済むくらいに。
 ダーツが上手くなりてえなと思う。将棋は初段に戻りてえなと思う。昔に比べれば、強くそう思うようになった。
 前は今よりも色んなことがやりたいと思っていたし、今よりも漠然としていて、自分でも気持ちが分からないような気がしていた。
 そう思えば今は単純になったのかもしれない。おぼろげに進みたい道の形が見えてきたような気もする。可能性が閉ざされているとも似ているのだろうか。
 結果こそ出ていないが努力しようとはしてみた。基本情報の試験を受けようとしてみたり、家投げを続けてみたり、詰将棋をやってみたり。
 量が足りないのか質が悪いのか、その両方か、それとも今の状態が俺のベストで且つあるべき姿なのか、悩んでみるが答えはない。