今という器の中から

過ごした時間を振り返る雑記ブログ

20180909

 また一週間が過ぎる。何か色々あった気もするし、何もなくなった気もする。コミュニケーションの質が幸福の質と相関するという文章を見て悲しくなった。もっと深くコミュニケーションを取りたいなあと思った。他人にもっと自分と向き合った方が言われて何も言葉が出なかった。確かになあと思うところはあっても自分との向き合い方もはっきりしない。よく他人に人生から逃げてると言われるが、まともに向き合うメリットがよく分からない。ツラいだけじゃないだろうか。最後に残る人間関係は継続的にメンテナンスを行ったものだけという文章を見た。自分がメンテナンスしてるものってあっただろうか。これも全部なくなっていくのかと思うと少し切なくなる。あると便利だが積極的にメンテナンスできない。いや、自発的に、か。人間関係も仕事も俺がいなければ上手くいくよなあと思うことが多い。反面、俺がいなきゃダメだったことってのは勿論ない。そう思うと、自分の考えをつらつらと書いている日記は贅沢なものなのかもしれない。自分そのものの文章だ。何の益もない時間の浪費だが、俺の存在が一時的にでも許されている場所とも言えるのだろう。とりあえず気兼ねなく話せる相手が欲しい。小さい頃なら叶っていたような気がするのにどうして年を取ると上手くいかねえんだろうな。出逢いを求めるのは難しい。彼女欲しい。もう最近はそれしか言ってない。ただただ空しさを感じる。サクッと告白してフラれるつもりだったのにサクッと告白しすぎて返事が返ってこずモヤっとしている。相手もかわいそうなので何とも言い難い。何をしようにも金がないと感じる。金がないのは確かだが見通しもない。それが一番足を引っ張っている気がする。金はないけど○○円までの出費は大丈夫とか、そういう感覚を身に付けたい。服を買う金が欲しいし食事を奢る金が欲しいし場所の下見をする金が欲しい。車も買い換えたいけどそれはどう頑張っても無理だろうなあ。しばらくは生活費とにらめっこが必要そうだなあ。貯金より先に交際費に充てたい。生きるのが空しくなりそうだ。新しく人間関係を築くより今ある職場の関係や家族との関係の改善に努めるのが普通なんだろう。頭ではそういう選択肢も浮かぶ。やろうとは思わない。俺から察してほしいっていうコミュニケーションを仕掛けて今まで苦労させただろうなあ。だからと言って今更謝れもしない。ライフハッカーの記事を読んでいると幸福のためには翌日の帰宅後に楽しいと感じる予定を組んでおくとよいらしい。楽しいと感じる予定って何だろうな。自分が楽しいって感じるもの、あるんだろうけどパッと言葉にはできない。大抵は○○という制約がなければ、とかそういう枕詞が付く。あとはうれしかったこと3つ書き出すことか。3 good thingsは昔やっていたはずなんだけど結局三週間ももたなかった気がするなあ。風呂場の電球を変えて明かりが点くようになったこと、卵を割るのに失敗したが目玉焼きは食べられるものが出来上がったこと、ポテトサラダが出来上がったこと。挙げるならそんな感じになるんだろうか。俺が信頼できそうな人間、四人くらいだろうか。日常的に話すのは一人。もっと増やしたいなあ。個人に負担を掛けなくても生きていけるようになりたい。金がない。時間はうまく使えればある。上手く使いたい。時間で手に入れられるものを増やしていきたい。金に換えられたらいいのに、上手くいかないもんだなあ。人生がどうなるかも大事だが、それを笑って話し合える相手が欲しい。それは自分のコントロールできることではないし、俺は奇跡を待ってる凡人だ。