今という器の中から

過ごした時間を振り返る雑記ブログ

退屈な幸せ

 期間が空いた。更新するだけの言い訳が見つけられなかった。書かなくても良いと言うのも、あまり喜べない。書くべきことなんて何もないはずでも。

 ここ最近は、転職という言葉が自分の中で重要性を増している。次の仕事を探さないといけなくなるまで、半年ほどだ。今のバイトは気に入っている。気に入ってるからこそ、できるだけ落差が無いようにしたい。残念ながら、落ちるのは前提みたいなもんだ。

 出来れば、人数の多いところに潜り込みたい。同世代が多いと尚いい。数字を記録してだとか、根拠を求めたりするほどではないのだけれど、他人と他人、他人と自分を比較して違いを感じるのは、面白そうな気がしている。その「面白そうな感覚」が自分にとって正しいのかどうか、可能なら一度は確かめてみたい。

 男女比が半々だとパーフェクトだ。ここまで書いて思ったが、完全に職場に出逢いの場としての機能を求めている。まともに社会に出ていない人間に、勤労意欲を求めるのが間違っている。いや、全く間違っていないだろうけれど。トガミは一番それが気になっているという話だ。

 何を扱いたいか、何をしたいのか。ぜんぜん想像が付かない。何でも良い、とまで割り切れないのが辛いところだ。想像が付かないのか、何もしたくないのか。何もしたくないんだろう。

 IT業界の仕事に興味が湧いて、プログラミング言語や英語を学ぼうと思ったこともあった。今年の4月から5月頃か。実質の期間は3日にも満たないだろう。IT業界に興味があるのか考えてみても、何だか上手く説明できていない気がする。プログラミングを学びたい気はする。仕事に興味があるのかは微妙だ。技術に興味があるという訳でもないと思う。「書きたい、創りたい、形にしたい」と言うよりも、「書けるようなら書けた方が良さそう、読めれば便利かも」程度のものだ。プログラミングという手段を保持していたい。しかし、使う予定はないし使うこともないだろうな、というところか。憧れはあっても、実際に資本を投入しようと思うと後込みするような。何があっても達成したいわけではない。自分にとっては、それほどまでに熱くしてくれるものではない。

 だからこそなのか、「これが面白い」だとか、「これをやりたい、実現したい」だとか、そういう人を見ると凄いなと思う。自分の価値観を脅かさない範囲で、そういう人を手伝ってお金が貰えたら良さそうだなあと考えたが、いかんせん此方から提供する価値がない。もしくはトガミの価値では、自分の望む生活が得られない。

 甘えと言えば甘えなのだが、『どっかにそういうのが落ちてないかなあ』などと考えて、時間が過ぎていく。過ぎれば過ぎるほど自分の首が締まっていっているようだが、あまり実感がない。それこそが問題なのだろうけれど。

 実体が無いものに惹かれる、と言うよりもそれに夢を見ている気がする。実体が無いからこそ、延々と膨れ上がる妄想。それが幸せなのか、不幸の原因なのかは置いておくとして。

 楽しいことって何だろう。美女と話すこと? そんな仕事があるだろうか。あったとして自分に就けるか? 諦めて金銭を支払う側に回った方が良いのではないかと思う。もちろん、払えるだけの金銭は持ち合わせていない。あったなら毎日でも通っているだろう。

 旅行に行くのは楽しいだろうか。恐らく、行ったなら楽しめると思う。しかし、トガミには行く理由がない。そして理由がなければ多分いくことはないだろう。行ったなら楽しめるだろうに、どこかでブレーキがかかっている。金銭だけの問題なのだろうか。分からない。

 楽しいこととは何なのだろう。それは日常的に、安定して取り組めるのだろうか。「楽しむためには相応の能力がいる」といった話をどこかで見かけた気がするが、自分はどこかに、相応の能力がある分野が存在するのだろうか。または、相応の能力まで辿り着けるのだろうか。

 少しくらい振り回される要素がないと、寝るだけの毎日が続く。寝るだけの毎日も、連続で続くと、なかなか寝付けない。何時間でも寝れて、楽しい夢が見られるのなら、それも悪くないのだけれども。しかしながら、あまりにも要素に振り回されると、怒りとストレスで、退屈よりも不快になることがある。そこまでいってしまうと喜びにくい。

 同じ時代を生きている人は多いはずだ。みんな、どうやって退屈を埋めているのだろう。苦しいことで埋めるしかないのか。どんな風に退屈と向き合っているのだろうか。今のこの状態こそが幸せの正体なんだろうか。