今という器の中から

過ごした時間を振り返る雑記ブログ

20181216

 日記を書かないとなあと思いながら日が開いている。忙しいときや調子の悪い時にこそ記録を残すべきなんだろうけど、上手くできていない。上手くできていないけどまあ少しずつ取り組めばいいかとポジティブに、もとい楽観的に書き終えていきたい。悲観主義が悪いことだとは思わないが使いこなせていない。もう少し楽観的に考えて悲観主義のアンテナが拾ったものに、取り組んで、いきたい。拾うだけじゃ疲弊するだけみたいだ。それならむしろアンテナで拾わない方がマシだし、拾わないって選択もどうせ上手くいかないだろう。そこで上手くいかなくてもその先かその前で帳尻を合わせればいい。

 仕事は付箋とノートをボチボチ使っている。二度手間でも使い終わった付箋の情報はノートに転記しておいた方がいいなあと思ったことが何回かあった。Todoだとか所要時間だとか。あとは付箋をペタペタと貼りなおして片付ける順番をこねくり回すスペースがあった方がやっぱり楽だ。

 できるかぎり集中するものを減らすこと、自分の自信を保ちメンタルを安定させ続けること、目の前のことを小さく改善し続けることなど、その辺りが大事なんだろうなあと思った。自信が欲しいって、この何年かはたぶん毎月のように言っている。それでもやっぱり自分が思うよりは結果が出ていないと思うし、自分でもどんな取り組みをしていてどれくらい進捗があるのか把握できていない。これも自分のメンタルを澱ませる一つの原因ではあるのかもしれないし、ないのかもしれない。まあ解決するまでは分からないわな。俺が解決してやるぞボケがとやる気に満ち溢れているがきっと寝たら忘れる。忘れる前に仕組みか環境を変えないといけないんだろう。ここで立ち止まっているから万年自信が欲しいと言っているんだろうな。

 久しぶりにフラリッシュに興味が湧いた。時間が空いたら練習したいなあと思うが、自分で空けない限りは時間が空くこともないだろう。寝る前に少しやりたい。筋トレは風呂に入る前に少しやりたい。集中するものを減らしたいと考えた矢先にこれだ。まあこれも俺なんだろう。そこを否定する必要はない。もう少し上手く付き合えばいいだけだ。現状もそれなりにやっている。もう何十年も一緒にいるんだから。日記を書き終えたら一週間分だけでも日記を見直そう。そんなことを書いていたような気がする。

 何だろう、もっと行けそうだなと感じるがこの感覚を果たして信用していいものかどうか。まあ小さく出来ることから、理想は掲げない。そういう方針でいきたいところだ。