今という器の中から

過ごした時間を振り返る雑記ブログ

20181126

 タッチタイピングの練習をした。

 昨日今日とそれなりに頭が冴えているように感じるのに、生活の結果に繋がらないなあと感じた。

 最近は多少順番が前後しようとも覚えているうちにやり終わっておくことが大事だなあと思った。効率が悪くなろうともやらないよりは随分マシだ。あとは忘れないようにリマインドをつくるとかか。

 朝ごはんをお腹いっぱい食べたら、昼ごはんが全く入らなかったので、弁当持ってこなきゃよかったなあと思った。はたして慣れるのだろうか。よく分からない。

 俺は何で仕事をやってるんだろと考えていたが、死にたくないからだった。そう言えばそもそも俺は、仕事に対して自由にお手洗いに行けることを求めていた気がする。そしてそれは叶っている。人間関係も人は悪くない。悪いのは俺の能力不足くらいで、仕事が100%悪いと言えるようなものでもない。まあ雇止めではあるものの、それは納得している。もともと正社員の求人で探しており、契約の段階で労働条件が変わったときには何が起こってるんだとも思ったものだが、それでも俺は働くことを選んだ。そのときには既に上司に惚れ込んでいたため後悔はなかった。人生をやり直しても同じ選択をするか迷っていると思う。俺が選んだんだからしゃあないよなあという気持ちはある。正解だったかどうかは微妙だ。迷惑は掛けた。それでも俺はやっぱり、出会えてよかったとか、短期間でもこの人の下で働けて良かったなあと思ってしまう。初出勤時から今の仕事のスタイルが馴染んでいたらもっと何か変わったかなあと思うが、いまさら考えてみてもしょうがないことだ。迷惑は掛けた。それは覆らないし、何も返せなかった。事実はそんなもんだ。残り少ない時間で俺に出来ることは目の前のミスを減らすことだけだ。そうやって取り組んできたつもりだったが、それ以外にも余計なことを考えていた。職場では常識的であらねばならないとか、早く仕事を覚えて楽をさせたいとか、人間関係を良好に保ちたいとか。素晴らしい考えだ。出来るならそうするべきだとさえ思う。しかし俺にはそんな余裕はない。そうやって並行して物事を考えているような場合じゃない。俺がするべきことは目の前のミスを減らすことだけで、それ以外のことに取り組むべきではなかったと今は思う。俺の能力では無理だった。欲張りすぎた。俺が望むのは掛ける迷惑を最小限にすることだ。迷惑は掛ける。決定だ。俺はロクな人間でもない。嫌われるのも仕方ない。余裕がない。そうしてでも俺はミスを減らすことに専心するべきだと思う。俺は仕事が嫌いだ。仕事という常識の強制が嫌いだ。仕事という規範が嫌いだ。仕事という諦めが嫌いだ。仕事なんだからという言葉が嫌いだ。仕事や金に俺の人生が縛られることに反吐が出るような思いもする。俺の存在より優越される仕事が大嫌いだ。俺より他人に愛されている仕事という言葉に嫉妬している。俺の存在よりも価値がある仕事が大嫌いだ。俺は死にたくない。俺は自分を殺したくない。とんだわがままだ。弱い自分が嫌いだ。仕事よりも価値のない自分が嫌いだ。みじめな自分が嫌いだ。それでも受け入れなきゃならない。仕事が必要だ。俺の嫌いな仕事が必要だ。俺に必要なのは目の前のミスを減らすことだ。存在の証明はいらない。俺の存在はいらない。必要なのは目の前のミスを減らす仕事だ。みじめだ。どうして俺はこの役割を果たせなかったのだろう。


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#朝ご飯