半径マイナスの生活空間

現人神へと変わるまで、リターンズ。

20181015

 羽が折れたという表現は、恐らく間違えているのだろう。

 

 教科書を暗記するのは得意だったと思う。いわゆるお勉強は人並みくらいには出来た。ただそれも良くできた教材があり、自分の中身が空っぽで、いくらでも時間が掛けられたからだ。他人の一時間を自分の二時間で誤魔化していただけだ。学んでいることの意味はよく分かっていなかったし、記述もできなかった。単語レベルで思い出すことだったり、選択肢を選ぶことだったりが、自分の限界だった。

 

 人生に教科書はないし、時間も限られている。勉強と実践は明確には分けられていないし、教えてくれるような人もいない。教材もない。学校では時間割が与えられても、社会では時間割は与えられないし、居場所もない。

 

 自由はある。空を見て途方に暮れるほど。友人は遠くまで行ってしまったし、自分は余計なプライドばかりが増え、身動きが取れなくなってしまった。

 

 社会では自分の意思で応募することが必要だと書いてある記事があった。自分は恥をかきたくなかったし、応募をするような理由もなかった。そのうち応募をするのがどんどん難しくなってしまったし、今では応募できる気もしなくなった。未来も信じられない。

 

 どうしてこうなってしまったんだろうとも、結局はきっとこうなってしまったんだろうとも思う。

 

 お金を稼ぐことは難しいし、お金を稼がないで生きていくことも難しい。お金がない中で生きていこうと前を向き続けるのも難しく、先のことを考えると憂うつになる。

 

 お金があったら、何に使っただろう。俺は他人のためにお金を使える人間になれただろうか。誰かを幸せにするためにお金を払える人間になれただろうか。お金を稼げる人間になれたなら、お金を払える人間になれただろうか。

 

 考えてみても意味は無いんだろう。俺はお金を稼げる人間ではないし、つまりは誰かに何らかの価値を与えている人間でもないのだ。お金を稼ぐ一歩目を見失って、途方に暮れ空を見上げている。羽はあるのかもしれないし、無いのかもしれない。飛ばないといけないんだろうなと頭では考えてみるものの、体は動かないままでいる。飛ぶ方法も分からないし、見える先が遠すぎて自分の足で歩く気力も湧かない。

 

 俺は何なら誰かの役に立とうと思えたんだろうとか、俺は何なら誰かの役に立てたんだろうとか、ただただ価値のない自分を眺めるのは、苦しいものがある。自分のことを、誰かの役に立てる人間だと思うことは、どうしてこんなに難しいんだろう。