今という器の中から

過ごした時間を振り返る雑記ブログ

20180812

 部屋には洗濯物が散らばっている。自炊にはまだ手が付かない。冷凍食品を詰めて弁当だと主張することには何度か成功した。毎回は無理だ。fgoの水着イベントを進めている。ログボ勢としては久しぶりにソシャゲらしく周回プレイをしている。一人暮らしを始めてからは何か創作をしたいと考えていたが、何も手が付かない。俺が欲しかったのは金で、承認だ。今の俺が創作をしたところで手に入らない。それならする意味があるわけもないよな。金や承認のために努力をするだけの根性もない。努力せずに結果を得られるほどのギフトもなかった。プロセスに対して報酬も感じられない。それは他のものであろうと同様だが。自分の一人暮らしに点数をつけるなら70点くらいだろうか。ぼちぼちはやれている、俺にしては。ただ掃除片づけはもう少し頑張ろうな。自炊は来週からでもいいし、無理なら来月からでもいい。そのための準備は進めてほしい。人生は50点だ。俺がやれる範囲の努力はしているつもりだが、ここから先は意識改革が必要なんだろう。人肌以上の幸せを思いつかないし、それは一人では達成できそうにない。一人で得られるそれ以上の幸せの可能性について触れられないと、俺は多分これ以上の幸せを思い描けないのだろう。そして今の幸せは、俺が納得できるほどのものではない。今の生活から何か失われれば、俺は相対的に今の幸せを感じられるのかもしれない。仕事を辞めたい。いや、仲直りがしたい。仲直りという表現は変なんだろうな。時間を巻き戻したい。仕事を辞めたところで、問題が俺の存在に起因しているのだから辞めたところで繰り返すだけだ。そして今のように逃げるだけでは、繰り返すたびに条件が悪くなるのも仕方のないことなのだろう。しかし反面、逃げるような人生を送るなら20代の下駄を履けている今しか機会がないというのも確かなことなんだろう。俺を雇用するコストを今の職場に負担させるべきなんだろうか。俺が金を稼げるなら、コストを圧縮できる能力があるなら、しかし、無いものはない。自分でも高望みしすぎているんだろう。忍耐力が足りない。レジリエンスが足りない。責任感が足りない。社会性が足りない。愛情が足りない。自意識は大きすぎる。金が欲しい。承認が欲しい。愛情が欲しい。能力が欲しい。何でも良いなんてことを考えていれば何も手に入らなかった。一つのものを選択する勇気がなかった。今もない。それでも人生は続くし相対的に評価され、見定められる。ロクな結果が返ってくることもないのに。仕事ってなんだ。上手くいかねえもんだなあ。何が上手くいっていないのかも分からない。何が上手くいってないかを考える力もないならそれも当然のことなんだろう。あー彼女欲しい。夢の中だけでもいい。一人で生きるには人生は空しすぎる。二人で生きるには人生は複雑すぎる。今が俺の能力のピークなのに、俺には一体何なら出来るというのだろう。期待を辞めて何も出来ない弱者として社会にフリーライドしなきゃならないのに。自我も思考も存在も邪魔で仕方がない。生かされててまだ不満か。不満は事実か。自分は正しくはないもんなあ。