今という器の中から

過ごした時間を振り返る雑記ブログ

20180729

 あらかたのものが揃ったので引っ越した。二、三日過ごしてみて思ったことは、やはり大人しく実家に寄生しとけば良かったなあということ。生活の破綻の予感がするし金もかなりのペースで蝕まれている。そんでもって意志力を生活でガンガン削られるので何もする気が起きなかった。次にネガティブに追い込まれると原状復帰に相当時間と金が掛かりそう。自分にしろ、部屋にしろ。良いことは何かあっただろうか。とりあえず自由にはなった。経済的にはまあ不自由になっているんだろう。家族の目から? 他人の目から? 部屋がとても広く感じて寂しい。物が揃ってないせいもあるかもしれないが、半分くらいでもいい気がする。テレビを買った割にはコンセントさえ抜いてしまっている。不満ばっかり出てくるが俺にしては良い生活を送れているんだろう。これ以上の生活も想像できるが手に入る気はしない。最低限は揃ってるんじゃないかな。この生活がずっと続くならそれなりに幸福なんだろう。まあ俺の仕事は期間の契約だし、俺はずっと20代ではいられないんだろうけど。親もずっとは生きてられないんだろうなあと思うと悲しくなる。悲しくなるくらいには心配をしているらしい。エアコンの効いた部屋で布団にくるまれながら、窓の外の空を数十分眺めていた。救いを求めていた。したいことは山のようにあっても手を付けられない。気力も愛情も金も時間も環境も揃うことなんてないんだろう。その中でも人間は生きていて、俺も生きている。Twitterでは人間を人生の核にするのは辞めた方が良いと書かれていて、だからと言って俺には何も見つからなかった。単純に行動量が足りないというのもあるんだろう。どこに向かえばいいかも分からず、周りはドンドンと自分の人生を進める中で、ぼんやりと空を眺めていた。それが許される生涯は、幸福で、味気ない。人生で素晴らしい瞬間。意識してみても分からないし覚えていられない。大切なはずなのに。好きな人の肌、夜を照らす光、感情を癒す音楽。頭に浮かべても手に入らない。夜にイヤホンをして散歩デートとか最高そうだな。理想に現実は追いつかない。願望を叶える力がない。願望に歩み寄る方法が欲しい。自分の体が欲しい。自分の動きが欲しい。自分の足跡が欲しい。自分の道が欲しい。これだと思える幻想が欲しい。出来ることがあると信じたいだけなんだろうな。今では凡人を名乗るにも悩むようになった。今までの生活と変化があるからか一日が長くなったような気はする。まだまだ悟りは開けそうにない。三大欲求にも物欲にも承認欲求にも囚われている。納得のできる生き方をしたい。なんで俺はこんなに俺に期待してるんだろうな。馬鹿だなあ。