今という器の中から

過ごした時間を振り返る雑記ブログ

20180630

 六月が終わる。久しぶりにパソコンを使って日記を書いている気がする。スマホの方が書き始めるまでが楽だ。日記を書こうとすら思わないときは疲れているのかもしれない。六月を振り返ってみても特別面白かったことは思い出せない。日々の生活が充実していたから書けなかったわけではなく、疲れていたから書けなかったというのが妥当だろう。頭の中の発話と画面越しの筆記は少し感覚が違うんだろうなと考えていた。最近は仕事でミスを連発していたので消え去りたくなっていた。メンタルがゴミなので簡単に辞めるかどうか考えている。7月に引越しを予定していて余計に金が掛かる予定で、下手な選択はするもんじゃねえなあと思った。ただでさえ貯金も収入もないのに今辞めると生活が困難になりそうだ。とは言え職場に自分がいたところで仕事を増やすだけならもっと階層を下りたいなあと思った。支出を減らしたいが優雅な生活もしたい。わがままとしか形容のしようがない。自分が大事だと思う部分以外の支出を減らしていくしかないのだろう。辞めたところでしょうがないんだよな。生きてるかぎりツラいのは何となく分かってる。ロクに働いてないが転職歴も積み上がってきた。色んな仕事の触りだけを見てきて

 スマホにチェンジ。

 色んな仕事の触りだけ見てきて仕事の内容じゃなく自分の人格が原因だという認識が強まった。仕事を雑に捌く。ミスが増える。人を頼れなくなる。自滅。辞めて次の職場へ。ルーティン。頼れる人だったなあ。そう考えると信頼できる人だろうと関係ないんだろう。相手が信頼できないわけじゃなくて自責から頼れなくなるだけだ。相手に頼らないでミスを上書きする方が迷惑だという認識があるから余計に自責の念が強まる。なのに益々頼るべき人に頼れなくなる。馬鹿だな。プライドが高いと指摘されることがあってはじめは何を言われているのか分からなかったが、自分はプライドが高いらしい。そもそも仕事を雑に捌かなきゃいいだけの話だ。それが出来ないし出来てねえわけだけども。人の話を聞いていないと言われる。メモを取らないと言われる。責任感がないと言われる。物事を引きずりすぎだと言われる。この辺りは自分の志向として納得できる。悪い部分が出ない程度には矯正しなくちゃならないなあと感じているが、この辺りは根付いてる。俺一人で生きるなら直さないだろう。社会に溶け込みたいと思うから努力しなきゃならない。周りに許されたい。社会に幸せを許されていないように感じる。俺は俺に死ぬことを許していない。無駄なせめぎ合いに疲れている。どっちが折れるのが先だろうかと偶に考える。自分が死ぬイメージは湧かないし、幸せに生きられるビジョンもない。死ぬまでは適当に生きてるんだろう。ここ2・3ヶ月、8月からは頑張ると言っている気がする。環境の変化に合わせて心境も変わってくれりゃあいいがそう上手くはいかないだろうな。生きてて何がしたいか迷走している。四国に行きたいなあ。鏡面の海が見たい。ペットが飼いたいなあ。引っ越し先ペット禁止だけど。UTAUも触りたい。筋トレも習慣化したい。そもそもまともに生活を回せるかどうかも怪しいと言えば怪しい。良い曲に出会うたびにこうなりてえと思うのだが、曲も書けなけりゃ詞も書けない。気が付けばなりたいと思ってから軽く10年は経ってる。何してきたんだろうなと思うこともあるが、だからと言って明日もきっと何もしないのだから、何も言う資格がない。他人に伝えられるメッセージがない。格好いいなと思うがやりたいことなのかは分からない。いや、そういうことじゃないんだよなあ。けど、せめて楽しく生きたい。人生は俺が考えるよりもっと面白みがなくて、背負わなきゃならない苦労が多い。