半径マイナスの生活空間

現人神へと変わるまで、リターンズ。

20180525,20180526

 浮気相手に求めることについて調べていたら、セカンドパートナーという概念に迷い込んだ。不倫の一歩手前の状態を指すと言ってもいいのではないだろうか。セカンドパートナーという概念について考えながら、もしかして俺はセカンドパートナーとして生きるように調教されているのではないかと思った。まあ男の勘違いはよくあるものだ。自分も男なので勘違いくらいはしてもいいだろう。妄想を膨らませると、仮に向こうが好意を見せても、どれだけ頑張ろうと肉体関係はNGということだろう。自分にとってはツラい。ただし好意を向けられるだけで生きる気力が湧くというのも事実としてあって、まあ、それなら肉体関係など些細な問題として見るべきなのかもしれない。好きな相手からの好意にはそれだけの価値があるのだろう。何となく腑に落ちなかった好意の表現も、セカンドとしてキープするためだと考えれば納得できなくもない。肉体関係がなければリスクも減る。手のひらで転がされているわけであって、敵いっこない。本命にも上がれっこないのだろうし、自分の感情を割り切れればいいなあと思う。だからと推測してみたところで、簡単に縁を切ったり、嫌われるような振る舞いをしたり、好かれる努力を辞めたりできないのは、人間単位で相手の魅力に負けているということなのだろう。

 

 気が付いたら寝ていた。

 

 この世は奪い合いで出来ている。肉体関係の先に価値はあるのかという問いが投げ掛けられていて、そもそも殆どのケースで肉体関係に辿り着く前に足切りを食らっているので何とも言えなかった。セカンドパートナーじゃなく本命が欲しい。本命がいないとセカンドパートナーとも上手くいかないだろう。ただ本命と出会うためにはきっと死ぬほどハードルを下げて割に合わない努力をしなきゃならないんだろうという霊感があって、めんどくさい。自意識が邪魔だ。無くす気もない。他人との繋がりがないので本命を探す手立ても見つからない。それなら一人で生きろよと思うのだが、幸せを愛し愛されることと勝手に認識しているので、パートナーが欲しくなる。愛されることに対して過剰に期待しているのでハードルを下げなきゃいけないらしいが、幸福を感じられなくなるまでハードルを下げたら、何のためのパートナーなのかも分からない。また5分後には生きているか分からないという強迫観念に襲われることがあって、長期間に渡ってパートナーを探さないといけなさそうという今の状況が苦痛だ。〆切ばかりが気になって、人生を無駄にしていると感じる。恋人なしに人生を無駄にせず生きる方法が自分には分からない。趣味に打ち込む人もいるだろうし、恋人なんてものがそもそも不要だという人がいるのは理解できる。ただ自分はそうではなかったというだけの話でしかないと思っている。自分で何かをしようと思うには、自分の人生は空虚だ。人が十代の欠落を追う生き物だとするなら、現時点の自分は理解者を求めているのかもしれない。そしてそれは人間には叶わない願いなのだろう。いや理解者だけじゃないか。どう考えても肉体関係も求めてるな。性欲としてテンプレートだと考えておくべきなのか。我ながら浅ましい。嫌いな人間が多すぎる。好きな人間に際限なく好かれたい。しかし好きな人間は魅力的な人間であってパートナーなり恋人なり婚約者がいる。自分が課す制限の多さに目が回る。馬鹿らしい。アルコールは飲めない。趣味がない。人間と関わるのが面倒だ。しかし関わりたい。一人で生きるべきなのだろう。自分のいう不幸せというのはせいぜい退屈だという程度の意味しかないらしい。そんなものは一人で噛み締めるべきではあるのだろう。どこかで、幸せな人間には強固な人間関係があるという記述を見た。強固な人間関係とは何なのだろう。喧嘩をする気も起きない。理解をしてもらうというのは簡単だが自分のコミュニケーションスキルでは押し付けくらいにしかならない。基本的に黙っているのが最善だ。その鬱憤が鬱屈した文章と性根に変わるのだろうが。自分と同じような態度の人間には身近ではあったことがない、と思う。孤独に慣れたい。一人でも幸せに生きられると語る人に憧れる。現時点だけを見れば、退屈なだけで満たされてはいるのだろう。自分だけの偶像が欲しい。人間にアイドルを求めるのが間違っているのだろう。人間も動物でしかなく、概念ではない。今の俺は何に時間を使えるのだろう。どうすりゃいいんだろうか。何で躓いているのか自覚が薄い。解決には程遠い。自分には強く鈍感になりたい。他人には弱く敏感でありたい。カワイイ女の子に愛されたい。カワイイ女の子に会う機会がない。カワイイ女の子との繋がりがない。カワイイ女の子に愛されるスペックがない。問題ばかりだ。カワイイがゲシュタルト崩壊する。ところで俺の人生とは何だ。何を思って生きているのだろう。カワイイ女の子は動機ではあるのだろう。けどそれは行為ではないし貢献でもない。自分の使える愛情表現とは。