今という器の中から

過ごした時間を振り返る雑記ブログ

20180522

 つまらない一日を過ごした気でいる。俺には幸せな一日を過ごした記憶が残っていて、それなら後は再現するだけなんだろう。何度もつまらない一日を過ごしてきたし、何度も幸せな日を過ごしてきた。自分にとって幸せな日は当たり前ではなくて、手に入れるか、自分の運の良さを信じるしかないらしい。相変わらず気分は上がるし下がる。幸せになりたいし、幸せにしたかった。過去も未来も現在も都合よくなくなってしまって、幸福だけが残ってしまえば良いのに。くだらないものばかりが目に入る。価値があるものが少数なのか、少数だから価値があるのか、分かりやしない。自分にとって価値があるものを実現できればいいな。何があれば幸せになるんだろうか。安心が欲しい。審美眼が欲しい。教養が欲しい。面白いことに気が付ける人間になりたい。抽象的だ。弱いなあ。この調子でいつまで生きられるんだろう。体より先に金が尽きそうだ。燃費が悪い。俺にとっての幸せな日は誰かに愛された日なんだろう。感謝とは違いそうだ。自分で自分を愛せたら毎日が幸せだろうか。想像は付かないな。他人を愛することが幸せな人間を見つけたい。自分がそうなろうとは思えない。自分の成長を喜ぶとかが一番健全そうに見える幸せなんだろうな。長所を認めるのが好意、短所を認めるのが愛情だと誰かが言っていた気がする。とは言え最期は一人なのだから自分でも幸せを感じられるようにはやっぱりなりたいなあ。糸口がまだ見当たらない。