半径マイナスの生活空間

現人神へと変わるまで、リターンズ。

20180112

今日のニュース

 

日記

  フェアネスについて考えていた。フェアネスの和訳って何になるんだっけ。公平性でいいんだろうか。日本語でも英語でもなくカナカナ語のような別の世界に行ってしまいそうな気がする。歪んだフェアネスだとかギブアンドテイク。世の中にはキブアンドギブを行う人間になれとかそんな感じの本もあったはずだ。ギブアンドテイクっていうのは個人的に割に合わないなあと感じていて、それは相手からの返報が少なく感じるからだと思った。なんでそう感じるのか悩んでみてエネルギーの変換効率みたいなことが関係あるのかなと思った。筆舌を尽くしても思ったことは十割では伝わらない。せいぜい半分しか相手に伝わってないとして、相手がその半分を律儀に返してきてくれたとしても自分の手元に渡るのは四分の一程度だ。返ってきたと認識できる量が返ってくる時点で中々の物なのかもしれないなと思った。それならどの程度の余力を割けるだろうか。自分ならきっと相手に与えたと思わない程度のことしか持続できないだろう。見返りがよぎった時点で恐らく損をしたと感じるであろうことは目に見えている。ギブの軸で考えるなら喜んでもらえるのが嬉しいことに意志力を割いた方が幾らかマシそうだ。そんなもんがあるかと言われれば自分は答えに詰まるのだが。

 

心に残る人生の喜びは、きっと「つくる」ことでしか感じられない | Books&Appsという記事を読んだ。これまで自分は主に日常を問うてきていて、人生に問うてみても納得できる答えは返ってこなかった。人生に問う人、生産の喜びを見出す人に対して自分は未来と今を跨がって生きているという印象を持っている。未来と今が線になる生産者、未来と今が幾つかの点を用いて表される消費者、未来と今が断絶されている人を何と例えよう。不用意に言葉を当てはめると怒られてしまうだろうなという霊感が働いている。主語は大きくない方がよさそうだ。いつからか未来と今に跨がって生きている自分をイメージするのが難しくなった自分がいた。善く生きるという指針を歪めて身に付けてしまった。素直でない弊害をこんなところで感じるとは思っていなかった。これが強迫観念というやつなんだろうか。生産者としてのスタートラインには立てるはずだ。ホコリを被ったペンタブにmidiキーボード。豚に真珠というやつだ。自分のために最低限の設備は何回も揃えていて、後はやるだけ。言い訳が効かない状況というのは分かりやすいが僅かばかり息苦しさがある。

 

 ジーン的生き方、ミーム的生き方。前者は子孫を残すことであって後者は文化を深めることなんだろうなあと解釈した。両者は並立するんだろう。生きるときに何となく付いて回る事柄なんだろうなあと感じる。本能と理性の充足の親戚なのかなあ。仕事だとか趣味だとかコミュニケーションは丸ごと含めてミームに関連するんだろうか。原著を当たらずにネットばかりつまみ食いをしていると足下が不安定だ。それならば自分はどんな文化を伝達する触媒たろうとするのだろう。

 

 数週間ぶりに話す機会があって、見事にフラれた。特に話し合うこともなかったにも関わらず、自分が考えていたお互いの性格上起こりうる問題の八割以上が共有できていたり、話すと安心できたり。波長が合うということなのか相手の合わせる力が高いのか自分には分からないがどちらにせよ少なくとも自分は落ち着くなあと思った。自分は相手のことを下に見ていることが多々あった。けれど話しているうちに相手の聡明さが数段上らしいと感じるにつれて自分が馬鹿だったなあと思い直した。自分は今まで別れるには惜しい(後もう一押し何か欲しい)という考えでいたのだが、自分が精神性の価値を充分に知らなかっただけで後になって恥ずかしくなるのだろうと感じた。しかしながらすれ違いという程でもなく、原因も自分にあり、喧嘩別れでもない。結局のところ相手の素晴らしさも再認識でき、もう自分が同じ土俵には立っていないことも腑に落ちた。吹っ切れたと言えそうなくらいには清々しい気分なのかもしれない。しばらくは過去に戻ってやり直したいと考えていると思うが。

 

 「まずは自分の人生を生きて」。この数週間、自分は自分のために生きてきたつもりだった。求職して、自分のための何かを探して、今のところ何も前に進んでない。満たされなかった。何のために生きてるんだろうとか。何が楽しくて面白いんだろうとか。結局他人の真似をして生きてるだけなんだろうか。本当は満たされていて目を背けてるだけなんだろうか。自分の人生を生きてみたところで他人の役には立たない。自分の人生を生きてみたところで自分の感情もロクに抑えられない。自分の人生を生きれば生きるほど、自分の人生に意味も価値も存在しないと感じる。それほどおかしいことだとは思わないが、無性に空しくなる。生存が至上命題の空っぽな人生。死ぬ気はない。死のうとは思わない。ただ、空っぽな人生に明日は必要か? 空っぽな今の連続ならどこを切り取ろうと一緒なのではないか? 生きたと値する時間の使い方って何だ。後悔ばかり浮かんでもこれ以上良くなった人生が浮かぶわけでもない。文化を深めたという実感や貢献が怪しい。その辺りを掘れば運が良ければ少しはマシになりそうな気がする。やることは今と変わらない。自分に従う。