半径マイナスの生活空間

現人神へと変わるまで、リターンズ。

20180106

 けっきょく続くのはプレーンテキストだなって。そんなことを思いながら手を抜く。誰が待ってるわけでもなく明確に役に立つわけでもなく、良くて無味無臭。悪かったらネガティブを繰り返している。まあ、そんなもんだ。それでも生きてるのだからそんなもんでいい気がする。

 精神的な幸せについて誰か書いていないかと思ってネットを探していたらショーペンハウアーの要約に辿り着いた。哲学者の考えることは面白い。大抵は途中で話が難しくなって付いていけなくなる。今回もそんな感じだった。

 「どうしようもないけど日常は続く」に耐えられるときと耐えられないときがある。この間は耐えられないときだったんだろう。今日は耐えられそうだ。無職の過去と今で何が違うのかも分からないが。

 他人より劣っていることが耐えられないらしい。自分より優秀な人間なんてこの世に溢れているのに。大部分が嫉妬と恐怖だろう。相手の方が優秀だと敵意があったときに勝ち目がないってのが恐ろしい。そんな人間である自分がネットに日記を書いているっていうのもおかしい話だ。今日日リアルとネットに大した違いはない。むしろインターネットの方が実害を招きそうなもんだが。

 書いている間、キーワードが浮かんでは消える。自分の執筆速度では拾いきれない。単語だけ拾っても文章にならず、もっと書けるような気がしていたのにおかしいなって気分になる。しかしまあ、これが本来自分が考えていたことの総量なんだろう。悲しいがそんなもんだ。

 同じところをグルグル回ったって仕方ないって毎回のように言っている気がするが、じゃあ何に旗を立てるべきなんだろうか。人生について悩むって言ってみたって幅が広すぎる。この書き方じゃ混ざりもんが多すぎて切り分けるのも大変だ。だから前のような書き方をしていて結局それを活用することもなかったわけで何とも言えない。今はそもそも悩める地点まで行けてないのかもしれないなあ。無駄なところに無駄な時間を振っている。まあ退屈よりはマシなのか。

 人は願望と満足を行き来する振り子のようなものだ、みたいな文章がショーペンハウアーの要約に書いてあった。自分は今まで幸せという状態と通常状態の二つを、静止してそれぞれ独立した状態としてしか捉えていなかった気がするので、この一文によって少しは視野が広がったのだろう。幸せには刺激と平穏があると仮定して、例え平穏を選好しようとも、その中には願望と満足が揺れているみたいだ。自分で自分にご褒美みたいなものが用意できる生活を送りたいもんだ。それが外食だったり予約だったり約束だったり成果だったり夢だったりするもんなんだろう。ネットの記事か何かで約束の幸福感はその予定の二週間前から持続して発揮されると書かれていた気がする。そもそも根拠のある話だったのかすら覚えてないが、自分で予定を設定するときの目安くらいにはなりそうな気がする。一日の最後に自分なりの儀式を確立するとか、二週間に一度くらい少し大きめな予定を立ててみるとかか。けっきょく自分が何を好んでいるのか把握している必要はありそうだ。寝る前に好きな本を読むだとか、コンビニでスイーツを買って食べるだとか、自分だったら何をするだろう。毎日行っても自分の懐が痛まない程度に抑えられる自分を満足させられる何か。まあ、働いてないうちは夕食を食べられるだけありがたがっておくべきか。結局のところ生活を大きく変えられるわけじゃないらしい。まあ、ぼちぼちで頑張っていくしか。