半径マイナスの生活空間

現人神へと変わるまで、リターンズ。

20170908

 WEBデザイナーになりたいなと思った。仕事をしたことはないし、HTMLもCSSJavascriptphotoshopillustratorも分からない。

 

 WEBデザイナーとして仕事が出来れば、転勤しなくて済むんじゃないかという楽観がある。

 

 プログラマーになりたいと思い、python3を勉強してみたことがあった。すぐに挫折した。rubyに取り組んでみたこともあったし、railsもあったはずだし、Javaもあったはずだ。

 

 地元にはプログラマーの仕事はない。東京に行けばゼロからでも研修してプログラマーになれるらしいと聞いて、上京しようと思ったこともあった。

 

 資金を貯めている途中で恋人ができて、上京に対して気が進まなくなった。離れる時間が惜しいと思った。何のために生きているかは分からないが、プログラマーを目指すより恋人の近くにいる方が幸せになれそうな気がした。

 

 恋人の近くにいようにも金が必要である。無職のままでいるわけにもいかない。時間にも質と量があるように自分は感じている。時間の質を高めるには、金を使うのが手っ取り早い。そのために金銭があるのではないか。

 

 金は欲しいし、誰かの役にも立ちたいと時々思う。そうじゃないと生きている意味が欲しくなってしまう。自分のために生きていくほど強い意味を自分は持ち合わせていない。誰かに支えられるために誰かを支えたい。曖昧に社会とやらと繋がっていないと、個はあんまりにも儚すぎる。

 

 転勤だけが嫌なら小売業界でも零細企業でも構わないはずだ。自分はまだ、自分の代わりにウェブサイトが働いてくれることや、スケールが効くことに対しての幻想を捨て切れていないのだろう。ブログというものに取り組んでみて、自分には適性が無いと嫌というほど分かっているはずなのに。

 

 ブロガーを目指してみるのもWEBライターを目指してみるのも選択肢としてあったのかもしれない。けれど、曲がりなりにも取り組んできて、自分には無理だという実感が深くなっている。WEBデザイナーも、勉強しようとしたところで自分には無理だと気付いていくのだろう。

 

 自分はわがままだ。要求ばかりが大きくなっていく。明日には別れるかもしれない恋人と、少しでも長く一緒にいたい。独りだと感じながら生きていくのにはもう疲れた。だからといってそのために何でも捨て去れるほど、自分は恋人のことを愛してはいないらしい。

 

 歯を食いしばってまでも誰かのために仕事に向き合う人間が大勢いる中で、自分はさっさと逃げ出した。

 

 休みの日は恋人と一食どこか外食に行きたい。好きな洋服を買いたい。地元で暮らしたい。自分と誰かのために働きたい。迷うことなく仕事がしたい。誰かに傷付けられたくない。誰かに優しくされて誰かに優しくして働きたい。子どもがほしい。ネットが使いたい。ソシャゲにも月額千円くらい課金したい。欲しいCDを買ってみたい。

 

 出来ていることもある。まだ出来ていないこともある。どれだけ続けられるだろう。お金がいくらあったところで足りるわけがない。だからといって最低額が分かるわけなんかない。働かなきゃいけない。何にも積み上げてこないまま、またジェンガを崩してしまった。あと何回挑戦できる? 自分の若さとやらはあとどれくらい持つのだろう。賭けるものなんてそれくらいしか残ってないのに。

 

 自分はレールから外れたんだから仕方ない。自分が自信を持たなきゃ誰かに相手にもされなくなる。謙虚にならなきゃいけない。とは言え自分を誇るには自分がやるしかない。