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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

20170228

 二月も終わりを告げている。時間が過ぎていくが、相変わらず何かを得られた実感はない。このままでいいのかという焦燥は残ったままだ。この焦燥こそが認知のエラーから生まれる反応で、本当は自分は幸せなのではないだろうか。自分に足りないものは認識できない。それなら別に現状のままで何も問題ないのではないだろうか。問題ないとしてみたところで焦燥が無くなるわけでもないのだが。不安と上手く付き合うために必要なことは、不安と上手く付き合おうとすることではなく、そもそも視界に入れないことっていうツイートを見た気がする。焦燥のことを考えるより、それについて考える暇もないくらい自分の人生を満たしてやった方がいいのかもしれない。だが、自分の人生を満たす何かってやつが中々見つからない。期待のしすぎか。


 神棚を置くことで成功するって文章を本で見た。神棚の水を変えて、神に祈るのが日課になれば、自然と自分の振る舞いを省みたり、自分の願いを形にする習慣が身に付くのだそうだ。何だか日記と似ているなと思った。


人間関係
職種
業種


 それぞれ問題を抱えている。欲しいものとリスクが天秤に掛けられないままでいる。そもそもリスクなんか背負いたくない。


 二月が終わると環境が少し変わる。今まであったものが失われてとても影響が大きい。今まであったことが不自然なもので、今までの生活がむしろボーナスのようなものだったのだが、それをそれとして割り切れるものではない。自分はその場から理由なく逃げ出してしまいたくなって、けども逃げる当てがない。自分も、夢があるから外に出ていくと口に出せる人間でありたかったが、とくだん何か隠している訳でなく、単に当てがないのだ。多少居心地が悪くなるときがあるだけで、普段なら耐えられないこともない。たまに耐えられないと思うときがあるだけで、実際にそれも耐えられないわけじゃない。その例外さえ除けば、普段通りってやつが手に入るとすれば、そうそう悪くもないのだろう。そういう妥協ってやつが嫌いだと駄々をこねている子供が自分であって、早く大人になりたいものだ。それを振り払えるだけの力もないのに。


 生きることを年々楽にしたい。ネットを見ると、物や執着を捨てることで他人はそれを実現しているらしい。いまだに人並みの幸せなんていう幻想に囚われている自分は旧世代の遺物なのだろう。自分を知ることで生きることへの余計な摩擦が減って生きやすくなると思う。だからやりたいことや”やりたくないことリスト”、自分の生涯を文章化した自分年表や理想の在り方を考えることは自分の人生を楽にすると思う。それなら他には? 何をやったら自分はもっと楽に生きられるだろう。好きなことで生きる意味を知る、得意なことで生きる喜びを知るという。得意なことが影響範囲における相対的な事柄でしかないのなら、いま自分が生きている範囲の場所で、他人に得意だと思われる自分の美点とは何なのだろう。


 書きたいことに直接アクセスできていないもどかしさがある。その代わりに思ってもいなかったような文章が広がっていて、いいんだか悪いんだか分からない。


 みっともなく生きている。みっともない世界で生きている。抜け出したい。

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