今という器の中から

過ごした時間を振り返る雑記ブログ

20161125-26 東京に旅行していた

 11月25-26日にかけて東京を旅行した。全体を振り返れば、それなりに収穫はあった気がする。

 東京に行こうと家を出るとき、Twitterを眺めていると、渋谷サイファーのメンバーの一人が似たような時間帯に、別のイベントに出ることに気が付いた。自分の中で今回の渋谷サイファーは人が集まらないんじゃないかという不安が生まれたので、人が募集されていた墨田サイファーに行くことに方針を変えた。あるかないか自分では判断が付かない渋谷サイファーに行くよりは、明示的にTwitterで募集を掛けていた墨田サイファーの方が向かいやすかった。そんな理由から墨田サイファーに行くことを心に決め、家を出た。

 出発時刻の一時間ほど前に空港に着く。安心の田舎クオリティ。遅刻して飛行機に乗れないか、早く着きすぎるかのどちらか。今回は早く着いたので良かった。飛行機で遅刻をしたら本当に洒落にならない。早く着きはしたものの、時間を潰す術が思いつかない。スマホが生命線といっても過言ではないので、無駄に充電を消費するわけにもいかない。こういうときにモバイルバッテリーがあったらと考えるが、結局は旅行中に買うこともなかった。

 結局は人の流れを眺めながら 「何というか、当たり前かもしれないが、外に出て行く人間ってのは身なりがきちんとしてるなあ。外に出て行くというより、外と内を行き来する人間か。」ということをTwitterで呟いていた。冷静になって考えてみれば、Twitterを眺めるのは区分としては無駄に充電を消費することだろうなあという矛盾に気が付く。

 『場所を行き来することってのは人を磨くのかもしれないなあ』と抽象的なことを思った。それは思想なのかもしれないし、服装なのかもしれないし、礼儀なんかなのかもしれない。旅行も場所を行き来することだろうし、人によっては本を読むことも芸術を鑑賞することも場所を行き来することなのかもしれない。文章を書くことは人をどこか別の場所に連れていく行為になりうるのかもしれないし、言葉は誰かを対岸に渡す船になりうるのかもしれない。とは言っても言葉は使い古され洗練されており、自分に考え付くこんな文章は誰かがもっと美しい言葉で紡いでいるのだろう。そんなことを思うと途端に世界に希望なんて残っていないような気にさせられる。

 羽田空港に着いて、何処に行くか考え始める。墨田サイファーに行きたいとは思っていたが、始まりは夜から。空港に到着した時間は昼過ぎで、まだ時間には余裕があった。少し歩くつもりで羽田空港の外を歩いていたのだが、歩いても歩いても見えるのは飛行機ばかりで、けっきょく途中で諦め、歩いて羽田空港まで戻った。この辺りでグーグルマップのGPS機能の有用性に気が付き始める。迷子の時間は、端的に言って無駄な時間だったと思う。

 迷子のおかげかチェックインができる頃合いの時間になったのでホテル日本橋ヴィラに向かう。夕方の四時頃になったが近くの弁当屋さんで遅めの昼飯を食べる。ホテルでゆっくりとしながら次の行動をどうするか考える。隅田公園の近くにスカイツリーがあるのでスカイツリーを眺めることにする。墨田サイファーの開始時間を確認するためにTwitterを見ると、そもそも場所が錦糸公園であることに気が付く。それでも開始時間には錦糸公園に向かえることを確認し、スカイツリーに向かう。

 乗り換えに苦戦しながらスカイツリーに向かっている途中、どこかの駅前で人だかりを見た。初めは何の人だかりなのか分からなかったが、歩きながら何人かのスマホを目にした限り、ポケモンGOをやっていたのだと思う。恐ろしかった。人間なんてこんなもんかと思った。全員が全員、四六時中に渡ってそこにいるわけでもないだろうし、ポケモンGOをやっているわけでもないのだろうけど、綺麗に静止して整った列を眺めながら、人間だって支配される側なんだろうなと思って悲しくなった。一人一人が常に思想をもって生きているだなんてことはきっとなくて、俺自身も知らないうちに誰かに操られて生きているんだろうな。自分も原子や分子の一つにすぎない。なのに痛みや恐怖があるのはギャグでしかないが。

 スカイツリーを目にして思ったことは『高っ』と『建物近いな』だった。展望台が少し気になったのだけど、面倒になったので止めた。時間がありあまっているので徒歩にて錦糸公園に向かう。

 錦糸公園に着くも、開始時間の一時間前だったのでオリナスにて時間を潰す。ガラス張りの前に椅子が備え付けてあったので休憩。友人とラインをしたりYouTubeを見たりしていた。

 メインディッシュの墨田サイファーが始まる。画面越しにしか見たことがない人が目の前でリアルタイムに動いてるのは面白いなあと少しズレたことを考えていた。本当にこんな世界があるんだなあ、なんて。高校生くらいの子が多い印象だったので少し浮いていないか心配だったが、まあ確かめようもないことだ。服装のダサさでは目立っていたかもしれない。他の人はラップが好きそうな格好や制服が多かったなかで自分は全身ユニクロマンだった。自分の中でサイファーっていう文化はその殆どがプレイヤーなんだろうと思っていたのだけど、墨田サイファーを見ていると、演者と観客っていう風に境が出来てしまっているように見えた。仕方のないことのようにも思う。目の前でマイクを持っているのは自分よりも数段ラップの上手い人で、周りには観客の目がある。恥をかきたくないって思うのも自然なことだろう。最近のラップブームから流入してきた自分のような層にとって一番目にする機会が多いのはメディア露出の多い渋谷サイファーだろうと勝手に思っていて、サイファー自体の役割もつられてパフォーマンスとしての捉え方の割合が大きくなってきてるのかなあと思った。

 掌幻さん、Luizさんをはじめ、雄猿さんやホルモン松田さんに凸の達人さん、終わり際のバトル中にはなびさんが来るなど。本当に同じ時代を生きてたんだなあと思った。

 東京来るまで三時間かかった。公園着いてから一時間待った。なのに結局ラップはしなかった。後悔だけは残さないはずが。みたいな感じのことをマイク通して言いたかったのだが、無理だった。一歩を踏み出さないとどうしようもないのに、また一つ人生に要らぬ後悔を抱えてしまった。後悔するくらいには気持ちを入れ込んでいたらしい。

 サイファー中、共同体というよりは演者と観客の剥離が進んでいるように感じていて、それに応えるように結構無茶なことを演者にしてもらっているように感じていた。そのなかで、これは言われたら本当に困るんだろうなあと感じてしまうような解禁情報や暴露も飛び出していて、よくもまあこう人間を信じられるもんだなあと思った。自分はブロガーになりきれないにしても、それに近い気質があると思っていて、生の情報をネットにリークすることが、ある種ブロガーの行動原理として備わっていると思っている。一部の人しか知らないことは価値になりうる。みんながみんな、誰かの事情を慮るものだろうか。軽くTwitterを眺めていたが、誰もそのことを口外はしていないようで、口が堅いか偉いなあと感じていた。

 バトルが終わったあと、お互いの良かったところ悪かったところを話しているのを見て、コミュニティや環境ってのは大事だなあと思った。

 写真を撮ってもらって、錦糸公園を後にする。歩いて帰るには少し疲れていたので電車に乗る。駅から歩きホテルに戻ったあと、晩御飯を食べていなかったことに気が付く。ラーメンが食べたい気分だったのと24時間営業だったことを含めて日高屋に行く。おそらく時計の針はてっぺん近くを指していた。

 日高屋からホテルへの帰り道、イヤホンで音楽を聴きながら気分よく帰っていた。自由を肌に感じながら歩道橋を歩いてるとき、「ああ、死ぬのかもしれない」と思った。前後の文脈を考えるのは難しいのだが、東京のどこかでは毎週のようにこんなイベントが行われていて、それらを知ることもなく、それらに参加することもなく、周りの誰かの目を気にしながら俺は死ぬんだなと思った。自分はどんな、何の自由を欲しがっていたんだろう。

 疲れてこそいたが、ホテルではあまり眠れなかった。

 ホテルのチェックアウトの一時間ほど前に起き、コンビニに朝食を買いに行った。おにぎり二個にお茶が一本の、自分にとってはオーソドックスな構成の朝食だった。ホテルをチェックアウトして東京タワーに向かう。途中、渋谷か原宿にでも寄ってみようかと思ったが、自分が寄ったところで特に得るものもないだろうなと思って面倒くさがってしまった。可能性ってのはそういうところにありそうなものだが、まあ、気分が乗らなかったのだししょうがない。

 下から東京タワーをさらっと眺めて羽田空港に戻った。することもないので四時間くらいお土産を眺めていたのだと思う。スカイマークの発着は第一ターミナルビルだったのだが、時間がありあまっていたので第二ターミナルまで歩いてみたりもした。ネットで調べて通路が地下にあると知識では知っていたのだが、通路を見つけるまでに時間がかかった。両端のどちらかにあるのだろうと思っていたのだが、真ん中だった。予想が外れた。

 お土産を買った後、邪魔なのでお土産を配達に回し、マックで夕食を摂りつつ、フリースペースで充電をした。便利だと思うのだが、想像より人が少ないので違和感があった。

 飛行機は特に何もなく空港まで着いた。

 それなりに楽しかった。書くのに細々と時間をとって三日間くらいかかっている気がする。トラブルさえ起きなかったら一人旅の方が気が楽だし、予定がない方が気が楽な気がする。おかげで特に達成できなかったこともないし(ただし達成できたこともないが)、書くことにもほとんど制限がない。自由だ。その殆どは俺しか知りようがないし、それが真実だったのかさえ今じゃ分からない。普段の生活から離れた場所に行ってそれなりに思うことがあったから、書き留めていることもあるのだろう。旅行を思い返してみると自分はあまり食に対して興味がないのかなあ。それか伸び代があると捉えるべきなのか。単純にまだ飽きていないからなのかもしれないが、ラップはもう少し聞いていたかったし、サイファーはもう少し眺めていたかった。今はインターネットがあるしスマホもあるのである程度再現できることだってあると思う。本当に楽しいと思ったなら、生活に組み込めるように頑張りたい。