読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

20161110

 起きたときには時計の針が十時を回っていた。足早に準備を済ませ、朝ご飯を食べる時間もないままに家を出る。車を走らせ、アルバイト先に着いたら作業を始める。

 作業にも色々な種類があるが、一つの大きめな目的のもと、短時間で終わる小さな作業に集中するのが、自分は好きらしかった。

 ブログで言えば、一つの記事を制作するために、見出しごとに全速力で文章を書いていくような感覚だろうか。例に出してみたところで、自分には迷いなく見出しを設定して書き進めるなんてことは出来ないので、文章を書くことを好きになるのは難しいのかもしれない。ただ、この流れを How として身に付ければ、自分のブログを改善できるかもしれないという希望が残っているとも言えるのだろう。

 ゲームを分類する要素を表す言葉として「ハックアンドスラッシュ(Hack and Slash)」というものがある。この要素を現実に適用しようとすることも、ある意味ではゲーミフィケーションと呼べるのかもしれない。

 わざわざ「ハックアンドスラッシュ(Hack and Slash)」という概念が掘り起こされるくらいなのだから、ある程度人類に普遍的に根差した快楽機構なのだろう。とは言え、偶然であってもそれに対して快楽を覚えるというきっかけを得られたのは、自分の中でそれが大きな部分を占めていると考えても良いのではないだろうか。

 俺は昔、似たようなことを考えて、似たようなことを書いているはずだ。本当は、初めからこの結論までをショートカットしたい。出来ることなら、昔の考えよりも先に行きたい。同じところを足踏みしていることが自分の望みだろうか。そんなことを認めたくはない。

 職場の人と話すと温かさが実感できる。自分は知らない人と話すよりも、見知った人と話す方が好きだ。自分が好きな相手と話していた方が心が安らぐ。嫌いな相手と話しているほど無駄な時間はない。金を貰っているからと言っても、目の前の人間に対する嫌悪感は減りやしない。目の前のそれから金銭を貰わずに済むだけで仕事が放棄できるなら、どれだけよかっただろう。相手を選べる人間になりたかった。他でもない自分の為に。例え金銭だけだったとしても、俺はこれと繋がりを持ちたくない。これが弱さか。

 インプットはアウトプットがあって初めて意味を成すのだと思っていた。その為にはアウトプットを積み重ねる必要があるんだとも思った。それなら、アウトプットは何に紐づけて行われるのだろう。誰のために行われると考えた方がいいのか。それとも何のために行われると考えた方がいいのだろうか。どうしてアウトプットが起こるんだろう。どうしてアウトプットを起こすのだろう。ある意味でそれは何のためにブログを書くのか、なのかもしれないし、何のためにブログを書かないのか、なのかもしれない。インプットをするためにアウトプットをする。それはどこか矛盾を孕んでいるのだろうか。それとも正常なのだろうか。アウトプットの原動力ってのは何なんだ、どこから来るんだ。俺にはどうしようも出来ないことなのか。それとも生み出せるものなのか。

 どれだけ充実した一日を送れるかが大切なんだろうと思った。自分がどんな一日を送っているかを知るために久しぶりに詳細に日記を書こうと努力してみたが、やはりどうしても書けないことは存在する。一日の間に何を成せたかというのを一番に考えたいものだが、それでなくても、最善を選んだ一日を送れたと思えるようになりたい。最善を選ぼうとした一日でありたい。それが抱える辛さの原因なのかもしれないけれども。

 共感者のいない大義に意味はあるか、大義のない信念に意味はあるか、信念のないアウトプットに意味はあるか、アウトプットのないインプットに意味はあるか。共感者を生むのはアウトプットだろうか。人に見られないコンテンツに意味はあるだろうか。人に見られるとはどういうことなんだろうか。自分の人生を生きたい。自分の人生ってなんだ。

広告を非表示にする