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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

20161021

日記 雑記

 朝まで遊び、作業に追われ、気が付けば時が過ぎた。音楽を聴きながら、自分は他人に影響を受けやすい人間だと感じていたことを思い出した。何かを始めるときは自分で始めるよりも、誰かと一緒にだとか、誰かに勧められて、なんてことが多かった気がする。まあ、世の中そう感じる人の方が多いのかもしれない。自分で何かを選び取るってのはエネルギーがいることだと自分は思う。自分で何かを選べる人間になるべきだってことを考えていた。他人が自分の世話をしてくれるとは限らないから。自分も誰かの世話ができる人間になりたいなんて思うが、自分のこともロクに出来ないのに中々そんな余裕は捻出できない。自分と同じ生活をしていたとしても他人に優しくできる人間もいるんだろう。恥ずかしい話なのかもしれないが、自分は論理的な思考ができると思っていた。けれども蓋を開けてみれば、伝えたいことは伝わらないし、プログラムも動かないし、これは論理が預かり知らぬところで破綻しているんだろうとしか思えない。こういったところでイチかゼロで捉えるのが自然なように思うので、きっと自分は傲慢なんだろうな。俺はこう思っていたが違うらしいということが度々あって、見識が変わることを喜ぶべきなのか、それとも今も間違った方に迷い込んでいるのか分からなくなる。分からないならありのままでもいいと思うのだが、結局は悩むことが悪いことのように思えてくる。どうなんだろうな。むかし誰かの対談で Choice is Yours という話がされていて、こういった話を聞くたびに俺は何を選んできたんだろうなあと思う。加えて、気付かず失ったことはあっても、自分から何か執着を捨てられたこともなかった気がする。尖った人間になりたいと思ったことは殆どなかったと思う。憧れることは幾度となくあった。話が通じる人間でありたかったのだと思う。しかしながら良くても知ったかぶりで、まあ、話が通じる人間でありたいというだけあって、自身がまともな話ができる人間ではなかった。鐘の音が聴こえたかどうかってのにコンプレックスを感じる。早く鳴れば鳴るほど今よりも遠くへ行けるといった話だった気がする。自分の鐘は今も鳴らない。今日ですべてが終わるようなことを考えていたら毎日のように虚しさが積み重なる。忘れてしまった方が自分には良かったのかもしれないなあ。あと何十年かあるかのような気持ちで、やりたいことやっていけたらいいなあ。

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