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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

20161017

 『今日は出来ることなら文章をタイピングしたい気分だな』と思って、ペンタブを机の脇に置いた。自分の外のお手本をなぞるときはペンタブの方が勝手が良いが、自分の内にあるお手本をなぞるときは、言葉の方が勝手が良さそうな気がした。そうやって自分の内にあるお手本をなぞっていくうちに、中身の貧相さにがっかりする。だからと言って、自分が不幸せだったんだと、今のところはとりあえず思わないし、渦中にいるときは案外と楽しめるものだ。これがきっと頭の中での理性の判断で、実際に行動に移してみると三割り増しくらいで良く見える世界だってあったのかもしれない。確かさばっかり求めて、周りに張り付いた不確かさを削ぎ落としていく。俺の器官は不確かさを排除しきれないみたいで、それに救われたり痛めつけられたりする。言葉の天井は遥か遠くにあるものだと思っていたのだけど、自分はそれを見ることが叶わないらしい。どこかに溢れかえった文章や表現。思ったことを言葉に表そうとしても、一言二言くらいしか出てこない。俺の感じたことなんてのはこれぽっちか。構造や形式に頼ろうとしても自分にはそんなツールが使いこなせないらしい。倒れても倒れても立ち上がる根性もなくて、石にしがみつくような必死さもなくて、だからって気を楽にしようとしてみても問題は未だ変わらない。好きだって書いてみても言葉の半分くらいしか伝わってる気がしなくて、きっとそんなことは誰かが何度も何度も使い古していて、口に出してみても言葉からは責任感が炭酸のようにシュワシュワと抜けていってしまう。誰かが使い込んだから他人に伝わるようになったのか。好きだって言葉にする準備も出来ていなくてそれなのに時間は過ぎていくから、やっぱり世界は俺のためには出来ていないんだなと少し寂しくもなる。一本の線が重なって二本の線が重なって三本の線が重なって重なって重なって重なって。どこかの線が切れたりズレたりするだけで全体の様相が表情を変える。いままでなんてものが危うい形の上に成り立っていることを、壊れるまで忘れてしまう。いや忘れたいと願っているのかもしれない。今の幸福が崩れるなんて考えながらじゃおかしくなってしまうから。感情を直接的に表す表現って何なんだろう。一番に思い当たるのは演劇だろうか。次にダンスかなあ。自分が知っている他のものは、自分にとっては同率くらいのものだろうか。感情のコントロールと表現ってのに少しの憧れはあるものの、練習の仕方は分からないし披露する場所もないし身体性を持った表現は出来れば避けたいと一応は思っている。実践できているかどうかは別だとしても。離したくない。俺のものじゃないのに。失いたくない。自分じゃどうしようもないのに。自分じゃどうしようもないなら、手放してしまったほうが楽なはずなのに。求める勇気もないなら黙っていろ。

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