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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

20160615 制限と仲良くなりたい

日記 雑記

 こうやって目的地もなく文章を書いている時点で恐らく省エネ志向ではないんだろうなあと思った。それじゃあ何を第一義にしているんだろうなあ。真実、違うだろうなあ。感情、違うだろうなあ。中庸、違うだろうなあ。自分の中での堕落最上主義。だとしたら俺にとっての堕落ってのは何だろう。水は低きに流れる、だとしたら、向かう先はどこなんだろう。怠惰に過ごすことに慣れるまで、どうやって不安を誤魔化そう。自分は不安駆動の乗り物なのか? だとしたら、これだけ燃料があるのだからもっと速く走ってもいいものだが、乗り物自体がポンコツなのかもしれないな。昔、風の歌を聴けという本を読んでいたとき、「ポンコツ車を直したところで次の不調が見つかるだけさ」といった文章が書かれていた気がする。俺自身も直すところが多すぎて困っているのかもなあ。昨日は「僕のヤバい妻」を見ていて面白いなあと思った。今日は職場の人に面白かったですねって話をしようとしていたのだけど、結局、機会はないままに終わった。そう言えば今日は見ない靴ですね、新しい靴ですかっていう機会もなかった。○○さんが連絡してくれって言ってたんですけど伝わってますかっていう機会もなかった。別に内容について話したいわけでもなく、話す機会を取りたかっただけなんだろうなあと思って、自分は案外と独りに耐えられない人間なんだろうなあと再確認した。また文章が自分の頭の中から出ていない気がする。まあ、いいか。昔、考えすぎる人は誰かの為に頭を悩ませなさいと書いてあるのを見た気がする。自分の中だと悩んでいる間に情報が増えて終わりが見えないからだったかな。けど自分には誰かの為にネットで頭を悩ませるってことが方法として理解できていない。いや、そんなもんが理解できていたらそれこそライタ-にでもなれていたのだろう。人生には良いことも悲しいこともあるのだろう。良いことはそのまま受け取っていればそれでいい気がするが、悲しいことをそのまま受け取るのは自分にはツライ。誰かが「この世から悲しみが無くなったら芸術もなくなる」と歌っていて、例え陳腐でありふれたものだとしても悲しみを美しさに変えられたらいいと思ったのだが簡単にはいかない。簡単にいってほしい。表現は制限と仲が良いと聞く。自分に似合った制限と出逢いたい。今のところは短歌が(形だけを見れば)分かりやすいと思ったのだが、もう少し音が欲しいなあと思った。けれども音楽だと音に近すぎる。日本語では押韻詩を書くのが難しいらしい。少し茨の道を学んでみるべきか、それとも外国語とセットで詩を学んだ方が良いのか。小説だと言葉に近すぎるよなあ。別にこれらのことを学ぶ必要性なんてさらさらないのだけれど、悲しみを綺麗な形で昇華する手段が一個くらいほしいもんだなあ。最近は散文を書くからか徐々にアクセスが増えていて、下手な試行錯誤をしてアクセスを減らしたくないなあと言うところが本音である。創作と独白の交錯を目指してやっていきたい。