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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

20160613

日記 雑記

 久しぶりに泣いた。久しぶりってのはあくまで自分の感覚であって他の人からすればよく泣いているかもしれない。まあ、一時期、毎日のように泣いていた時期もあったのだから少し泣いているくらいなら許容範囲だろう。前に泣いたのはいつぐらいだっただろう。多分、半年経たないくらいだろう。多分。久しぶりに死にたいと思ってブログ内で検索したらヒットしなかった。ブログの記事を全部消してからは死にたいなんて書いていないらしい。意外と偉かった過去の自分。その功績もここで潰える。自分勝手なので、自分の言う死にたいは肉体を捨て去って記憶だけ自由を飛び回って他の人がどんな人生を送るか見ていたいという無理難題くらいの意味合いしか含まれていない。アニメで見たサイコパスで例えるならば、ネタバレが入るのでサイコパスを見たことが無い人は回れ右してほしい。サイコパスは面白い。サイコパスはいいぞ。と言うことでネタバレに入るのだけどサイコパスのシビュラシステムになりたい。作品中のシビュラシステムは社会秩序を保つスーパーコンピューターのようなものを表す。多数の人間の脳を接続して出来たバイオコンピューターみたいなものなんだろうと自分は記憶している。そもそもサイコパスのような社会になればいいと考えてしまった。実際になると自分は困る側の人間だろうか。例えばシビュラシステムの頭数になれたとしたら、肉体を捨て去ったことを嘆くんだろうか。また小さいことで悲しくなってくる。自分は恵まれた人間なのだろう。自殺はしたくないな。言葉足らずだが、辛いことが無くて、他人から自分の存在が消えて、自分も他人のことなんて気にしない世界に行きたい。自分が生きていたら達成しない願いだが、自分として死んだって達成しない願いだ。どうしようもない。たまに死にたいと言っている人間が同時に俺/僕/アタシ/私が死んだら悲しむ人がいるから死ねないと言っているのを見て羨ましく思う。死んだときに悲しんでくれる人がいるというのも勿論だが、悲しんでくれる人のことを愛しているんだろうなあと思う。例えば自分の家族が自分が死んだときに悲しんだとして、それが自分にとって慰めになるだろうか。死んでるんだからなるわけないだろっていうのはまあそうなんだろうけど、それが仮にドッキリだったとして、控室で家族が泣いている様を眺めて、自分は、泣くほどの価値が果たしてこの男にあったか? ってニュアンスのことを考えていると思う。俺が死ぬ、悲しいという人、それは俺のことを分かろうとしてくれた人だったんだろうか。っていうのが、きっと巷で言う察してちゃんなのだろう。自分も。お前に俺の死を悲しがる資格はないって、どこかで湧いてくる気がするのはなんだろうなあ。好きだとか愛してるだとか頻繁に気軽に使いたいと思っている。けど自分が吐く言葉ってのは薄っぺらい。本当にこれが好きなんだろうか、本当にこの人を愛してるんだろうかとか、そもそもの話で本当にってなんだよに落ち着くのかもしれない。そんなに重要かよそれ。結局は俺が大切に思っているのなんて自己保身くらいしかないのかもしれない。その為だったら何もしない方がマシだろう。察してちゃん×繊細チンピラ×ストーカー気質。自分の中では何となくビンゴが揃った気分だ。

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