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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

20160611

ブログ 雑記

 文章を書くことを考えていた。真面目に取り組んでいる訳でもないけれど、いや、真面目に取り組んだとしてもこんな感じなんだけれども。「文章を見ることは夢を見ることに似ている」という文章を見て、ああ、これは良いなあと思った。「記憶はその人の中にしかない」という文章も好きだ。チェコ好きさんのユクスキュルのダニの話が思い出される。そういう話なのかは分からないけれども。自分が受け取るシグナルと他人が受け取るシグナルは違う、例え同じ出来事だとしても、感情や思考までを共有することは容易ではない。小説っぽさについて考えてみたり、詩っぽさについて考えてみたり、ラップっぽさについて考えてみたりして、『ああ、俺には他人を楽しませるのは無理だな』って思う。それでも時間が経つと忘れて、また同じことの二週目を走っていく。同じ場所を輪を描くように回って、時間が過ぎていく。はたして見ている景色は変わっているのだろうか。走ることに精一杯で、周りを見渡す余裕なんて無かったのかもしれない。文章にしたことくらいしか、自分には再確認することが出来ない。その文章すら消してしまって、曖昧な自己に頼るしかなくなる。はて、お前はそんなに信用に足る人間だったか? 違うよなあ。とは言え、今日の俺がきっと最高傑作なんだろうっていう自己愛はある。これから肉体は齢を重ねて衰えていくが、明日の自分が今日の自分より精神的に成長している保証はない。専門性だって、知識だって積み重なるものはないだろう。役に立つような経験だって明日にはきっと忘れてしまう。そして口にするはじめまして。今日の俺が最高傑作で、それでいてこの程度だ。そして人並みに将来に怯えている。今更になって何が出来るのかだって分からないのに、分かっていたならきっと何処かで変えられたか? 変えられたって思いたいだけだろうよ。自分が書いている文章は記憶なんだろうか、それとも思考なんだろうか。記憶とはまた違いそうだなあ。頭の中には触れているかもしれないが、世界に触れられている気がしない。世界と何処か繋がっている文章。それは何なんだろうな。繋がってしまうと困ってしまうんだけど、どこか頭の隅でそんな文章を求めている気がしてしまう。例えば500mlペットボトルの水を飲んだだとか、天気予報はくもりだったのに雨が降ってきただとか、濡れるほどの雨ではなかったから少し楽しい気分でいられただとか、いざ書いてみると少しそっけなくて、振り向いてもらえないみたいだ。例えば文章の中ですら孤独なんだとしたら、文章ってやつはまるでガラスみたいだ。自身を向こう側にまで透過させてしまう。それとも、俺にはそんな文章しか書けないのか? 俺が書くからこんな風になってしまうのか? 喜ぶべきか、悲しむべきか。迷っている? 迷っているとしてそれは判断が付かないのか、それとも誰かの目を気にしてるのか? 針は振れるものだと思っている。そもそも針の先を失ってしまったように感じるのは何でだ。素直になれって問題なのだろうか。自分が書いているものを読み直してみれば好きなヒトへの執着と自己の劣等感が過半数を超えている気がする。あながち例としてストーカー気質を挙げたのは間違っていなかった。むしろそれこそが俺の本質なんじゃないかと思いたくなる。ただ、俺の執着ってのもこの程度のもので、穢れも中途半端だ。

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