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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

20160610

日記 雑記

 最近は自由に日記を書くことが出来ていて楽だ。反面、たまにブログ論に目を通してみては、そういうブログへの憧れが消えていないらしいことを思い知る。他人のためにも自分のためにも書いてある文章が一番だと思う。自分は、自分っていう領域から離れられないでいて、読む人からすれば、まあ退屈な文章を書いているんだろうと思う。自分で読み返していると自分にとっては備忘録として役に立つから尚のこと他人のためにならないのかもしれない。最近は、自分がストーカー気質であるということを今までよりは前に出していこうと、ふと思った。そんな前置きをして、同僚のフルネームをネットで検索していたら、何年か前のブログが出てきた。多分、本人の記憶からは消えてるんだろうなあと思うと、『ネットって怖いなあ』と思った。数年前と言うことも相まって、今のようにブログブログしているものではなく、似たような毎日の繰り返し。何記事あったのかは分からないけれど、4年分くらいをざっと見た。今のブロガーが書くような文字量ではないにしろ、2時間くらいずっと見ていた気がする。プライベートで喋ることは殆ど無いのでブログを読んだことがバレるくらいでも多少引かれるだろう。内容は基本的に幸せそうな内容で、ドラマを見ただとか、買い物に行っただとかだった。幸せそうな内容で、っていうのが自分の中ではやっぱり大事なんだろうと思う。『うわー、クリーンだー』って感想。いや、身内が見るようなフォーマットなら普通はそんなものなのかもしれない。Twitterのタイムラインでいつだったか、Twitterで書けるくらいまともな生活っていう文章を見て、気持ちは分かるけどそれ多分Twitterと親和性高い人間しかやろうと思わないやつやろうなと思った。ちなみに自分は一人暮らしをしていたときはよくやっていた。ネットに書いてあることだけがその人のすべてとは限らないし、殆どの人なんてそうでもないんだろうけど、そこにある文章だけを見て、自分はその人のことを「クリーン」だと思ってしまうのだった。それは日々の積み重ねで何か綺麗にまとめられているわけでもないのだけど、自分が知っているその人と、それまでが書いてある文章が混ざり合っていくような感覚を覚えながら、一人で楽しんでいた。コンテクストの力ってのは凄いなあ。文章ってのは誰に届くんだか分からない。嬉しいのか怖いのか悲しいのか胸が高鳴るのか。自分が読みたい内容を自分が読みたい文章で書きたい。今日は朝早くから起こされて、世界が薄くて涼しかった。最近は熱いしジメジメすると思っていたのが覆されて時間帯が変わるだけで違いがあるもんだなあと思った。自分の知らなかったもう一つの世界線がそこら中にありふれている。泥にまみれながら形になるのはいつかになるかなあと考えていた。秋になるまではきっと忘れていると思う。もう半年もすれば冬が来るんだなあ。今は夏なんだろうか、どうなんだろう。去年は「来年は何処にいるのだろう」と言いながら同じ場所にいた。今年も来年は何処にいるのだろうと考えながら同じ場所に留まるんだろうか。別に良くも悪くもない。納得さえできれば。今のところ逃げ道は見つかってない。俺が今から手に入れられるものじゃ満足できないんだろうなって感覚だけは依然あって、この事実にどう向き合っていくのが良いんだろうなってずっと悩んでやめてを繰り返している。知人からのカラオケの誘いに乗っかる体力が残っていなかったことを除けば、それなりで過ごせた1日だったように思うし、他人の人生を覗き見している間は楽しかった。いつか本人の口からもう少し聞いてみたいものだ。ちなみに自分のブログが知人に見られることがあったら社会的に死ぬ。

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