今という器の中から

過ごした時間を振り返る雑記ブログ

お前の代わりなんか幾らでもいる

 一日のブログのPVが15に到達した。満足だ。到達したのは嬉しいのだが、前のブログでの閾値は35位だったと思う。減っていると言えば減っている。もう一度、それぐらいまで育ったら良いなあと思うのだが、難しそうだ。

 とは言え、まあまあ。読んでも時間を浪費するだけのブログだ。毒にも薬にも水にもならない。今、PVが15に達するのも、たまたま感想を書いたアプリが、そこそこ検索されているからだろう。それでPVが増えたところで、直接的な喜びに繋がるかは微妙だ。そして、直にその検索流入も無くなるだろう。

 中々の平日だった。異性の同僚とは話せたし、目立った失敗も思い当たらなかった。想像よりも業務を捌けた気がしているし、それで先輩には誉め言葉を貰った。ついでにブログの15PV。平日としては中々だろう。することが思い当たらなかったときの休日よりも、充実感はあったかもしれない。

 唐突だが、トガミはVOCALOIDが好きだった。そうは言ってみたものの、実際は歌ってみたくらいしか聞いていなかったので、少し話がややこしい。VOCALOIDの曲の一つに『1925』という曲がある。その中の1フレーズに

 パズルの凸凹意外にも誰とでもハマるようだ

 というものがある。この場合のパズルと言うのは、恐らく男女のまあ、うん。自分でも何で今これを取り上げたのか分からない。「人間は会社や社会、世界の一部でしかなく、多くの場合、代替は可能である」みたいな言説を共有したかった。完全にVOCALOIDの話は必要なかった気がする。

 アルバイトをしていて、そのことを考える。『恐らく、来年の今頃には、この場所では働けないだろう』と、トガミは思っている。そもそもここに居ること自体がイレギュラーだ。だから、自分が行っている軽作業も、恐らくはトガミの知る由もない「誰か」が引き継いで行っていくことになるのだろう。そんなことを考えながら作業をしていた。

 トガミが消えたところで、アルバイトという役割は、恐らく別な人が埋めるのだろう。実際に埋まるだろうし、それは想像に難くない。作業をしながら、自分がいない、今の職場に思いを馳せる。自分がいなくなった後、誰がこの作業を割り当てられるのだろう。どんな人が自分の後に入ってくるのだろう。その人と自分の違いは、どこだろうか。後の人が入ってくるまで、どうやって作業を回すのだろう。

 自分がアルバイトとして入ってくる前は、どんな人が、どんな風に、どんな考えを持って作業していたのだろう。周りの人はそれに対して、どう感じながら接していたのだろうか。自分のいなかった職場。どちらも、知ろうと思えば知れるかもしれない。そこまでして聞こうとは思わないが。

 トガミが辞めたとき、周りからはどう思われるんだろう。『居なくなって良かった』? それは寂しいなあ。嫌われるくらいなら、せめてトガミは空気でいたい。

 ふと、『あの人が居なくなってしまったら?』と頭に浮かんだ。次々に浮かぶ顔が移り変わる。その鎖は、本当に業務だけで繋がれているか。身の回りに数人、トガミにとって代わりがいると言えるのか悩ましい人がいる。業務は回るかもしれない。時間が経てば、割り切り、忘れ、慣れるのかもしれない。案外あっさりと、時間や環境は人を連れ去っていく。

 代替可能だからと言って、取り替えて何も変化を感じないわけじゃないんだろう。お前の代わりなんか幾らでもいる。それでもトガミにとってその人は大切で、だから大切にしたいみたいなことを考えていたような、いなかったような気がした。