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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

イトマのカゼ

雑記

 何をして生きたいか。思いつかない。具体的な動詞がない。具体的な動詞があれば幸福か、と言えばそうでもないのだろう。それはそれで、幸福への選択肢が限られているとも言い換えられるだろうからだ。その動詞が常に実行できるなら、その人物が幸福を得ることは簡単なのだろう。それなら、その動詞が実行できないときは不幸せなのだろうか。生きている間、ずっと制限を受けることになってしまったら? とは言え、幸せに至る動詞が1つとは限らず、時には補完し合うように存在しているかもしれない。そう信じたい。

 休日を、どう過ごしているか。ヒトリカラオケ、アニメ、ドラマ、SNS、ブログ、昼寝。それを望んで過ごしているのだろうか。まあ、それはそうなんだろう。一応は、選ぶだけの理由が存在しているはずだ。それがベストであるか、現状選びうるベターであるかの判断は難しいけれど。消費する人生。これで良いのか。そう考えるのは果たして自分の意志なのか、それとも誰かの言葉にそう刷り込まれたのか。生きているのか、それとも死んでいないのか。死んでいないのだから幸せなのだろう、恐らくは。衣食住が整っており、五体満足で、感情があり、自我がある。誰かと比較ゲームをすれば、きっと他の誰かよりは恵まれ、優遇されている。幸せってそういうことなのか? 同じように誰かと比較ゲームをしても、他の誰かよりも恵まれず、冷遇されている。それも当たり前だと受け入れるのか?

 「物事に悩むような奴は、単に暇なだけ」と聞いたことがあった気がする。トガミは暇なのだろう。ただ、トガミの暇を埋めるようなものも見つからない。面白くもないもので人生を埋める気にはならない。何の理由も実感も無く行動するのも億劫だ。暇が埋まらない。風が通り抜けていく。

 幸せが欲しい。だが幸せを手に入れたところで、きっとトガミは幸せを実感することはないだろう。そんな鋭敏な感覚を持ち合わせていないからだ。それなら不幸を取り除けば満足か? 不幸とは何だ。トガミは不幸なのか? 暇人だとは言える。怠惰とも無能だとも言えるだろう。しかし、幸不幸の軸では、分相応なのではないか。就職に失敗したことは不幸かもしれない。しかしながら、それはトガミの無能が招いたことだろう。トガミは偶然によって失敗したわけではない。必然だ。

 不幸と書くから、自分の中で齟齬が発生しているのかもしれない。どちらかと言えば不安か。何が不安だろう。誰かに嫌われること? このまま人生が過ぎていくこと? 自立できるような職に就けないこと? 今の水準の生活が出来ないこと? 国家? 老後? それで、どれもこれも自分が100%干渉できることか? 恐らくは無理だろう。一部にしか干渉できない、一部には干渉できる。一部のオプションを選べる。

 どんな人生を送りたいだろう。家でゆっくり過ごす生活。そして今、トガミはその通りに、家でゆっくりと過ごしている。それでもこんな文章を書いている。物足りない。『本当に現状で良いのか?』と。

 これが生きているということか? この生活を続けてトガミは満足か、後悔しないか? それとも後悔を織り込んで続けないといけないのか。現状を変える気は起きない。その手段も思い浮かばない。これが生きているということでいいのか。

 自分の役割だとか、物語に憧れるが、そんなもんないのだろう。あったとしても悲劇にしかならないのだろうと感じる。改めて考えると、やはりトガミの生死なんてものは世界に干渉しない。トガミ当人にとっては、少なからず寂しいものである。

 
 

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