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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

自己肯定できる人になりたい

 Twitterのフォロワーに関する記事を見て、自らのTwitter運用について考えた。昔、ブログを書いていたときにも、ブログアカウントと紐付けたTwitterアカウントを使っていた。

 当時のツイートはもう残っていないのだけれど、確か、馴れ合いツイートやらキャッキャウフフツイートをしていた気がする。それが悪いと言うつもりはないし、悪いとも思っていない。

 今のTwitterアカウントは、もっぱら更新通知と“はてブ”の連携ツイートで殆どが占められている。botの類と考えてもよいだろうし、スパムアカウントとそう変わりがない。

 対話をする相手がいないというのもあるし、そんな関係性を育むのが面倒だったというのもある。今回のブログも、今でこそ3ヶ月ほど続いているが、いつまで続くか分からなかった。一週間すら保つかも分からないのに、その関係性に時間を投資する気はあまり起きなかった。

 今後も、しばらくはbot運用になると思う。Twitterの情報量を、今はとても捌けそうにない。

 Twitterのフォロー範囲を、少し広げた。日常の緩みから生まれるツイートを拾いたいと思ったからだ。今までは、トガミの思う、有益なツイートをするアカウントを中心にフォローしていた。例えば、個人の身辺雑記ではなく、広く用いられる情報やニュースへの言及、考察などだ。

 けれど、トガミにはもうそれらの情報を咀嚼できそうにない。今では眺めるのも億劫になっている始末だ。今は、それよりも、トガミに気づきのきっかけを与えてくれる、ありふれたツイートが見たい気分だ。

 昔はTwitterを馴れ合いに使っていた。今はどちらかというと、一方的に見るツールとして使っている。良い/悪い、どちらでもないのだろうけれど。

 馴れ合いと書くと、ネガティブに取られそうな気がする。けれど、交流と書いても、対話と書いてもしっくりと来ない。緩やかに落ちていく。そんな感覚がした。トガミはそれを悪いとまでは思えない。
 
 最近は買う飲み物を、カフェオレから水にしている。理由は安いから。それに加えて、水にした日はお腹を壊しにくい気がする。プラシーボだかスパシーバだか分からないけれど、思い込みの力なのかもしれない。偽薬効果と、ありがとう効果。

 トガミはカフェオレの方が好きだ。美味しい。しかし、水より高い。そして、お腹を下してしまうと一日の満足度が大きく下がる。悩みどころだ。

 アルバイトの休憩中、喉が渇く中、水を飲む。味は分からない。けれど、染み入るような感覚があるように思う。味が無いからこそ、尚更そう感じるのだろうか。幸福だとか、満足だとか、それほどまで良いものではないのだけれども、同じ矢印の上の感覚である気がした。それでも、やっぱりカフェオレも飲みたい。チョウ頑張れ。

 自分の車の前を、トラックが走っていた。銀の大きなトラックの荷台には、牛がいた。牛は頭を、トラックの右側のどこかに繋がれているようで、後ろを振り返ったりや、満足に動くことさえも出来ないようだった。

 牛はこの状況を理解しているのだろうか。この不条理を理解できているのだろうか。そもそも不条理と呼ぶようなもの? 理解できない方が、きっと牛も今は幸せなのだろう。トガミも、状況を知った気になっているだけなのかもしれない。大きく、大雑把に見れば、繋がれ、運ばれる牛とそう変わりない。細かに見ようとすれば、やはり大きな差がある。トガミから見れば、自分が車の中にいることを安堵していた。自分が車に繋がれる側だったらと考えて恐怖していた。トガミは矢張り、自分勝手だ。そう思うべきなんだろうと考える自分がいる。

 奪う側と、奪われる側。それを見ないように、意識しないようにしている自分がいる。それが普通なのだろう。今の知性や教育や道徳や、それらを土台にして、与奪について考えるには、あまりにも人は弱く、小さいとトガミは思う。一部の人間にそれらの思考の義務を押しつけ、トガミは生きている。深く考えるどころか、そうしようとすることでさえ、物理的に嘔吐しそうだ。これを書いている今。矛盾についてなのか、生死についてなのか、命の重さについてなのか、それすらも簡単に、考えた気になっている自己の醜悪さ、それともそれを下に敷いたパフォーマンス? 他の外部要因?

 実家に寄生し、服を着て、三食食べられている。娯楽もある。何が埋まってないんだろう。どうしてわざわざ、暗い闇を覗くような行動をしているのだろう。満足な日常を過ごしたいはずなのに。そのためにこれは必要なのか?

 夢が見たい。楽しい夢が見たい。寝ている間、自分を忘れて面白い夢が見たい。書いている間、誰かに読まれるような期待が欲しい。誰かに届くような。誰かに微笑んで欲しい。自分がここにいても良いと思えるように。肯定が欲しい。自分に、人生に。