今という器の中から

過ごした時間を振り返る雑記ブログ

今週のお題「私がブログを始めたきっかけ」

 今週のお題「私がブログを始めたきっかけ」

 初めてブログを開設したのは、中学生の頃だっただろうか。クラスメイトに誘われたのがキッカケで書き始めた。内容は今と変わらず、誰のためにもならないような日記。読むのも知り合い同士、遠くても知り合いの知り合いといったところで、当時の自分にとっては割りかしら閉じたものだった。毎日のように同じことばかりを書き、そのうち、新鮮味に欠けるような気がして、次第に書かなくなっていった。

 はてなブログを初めて使いだしたのは、高校を卒業して、半年ほど経った頃だっただろうか。生活に行き詰まり、新しく何かを始めようと思ったのがキッカケだったはずだ。このときから、身内に開設を告げることもなく、独りで日記を書いていた。

 何かしら、特別になりたかったと言うべきなのかも知れない。ブログを続けていれば、特別になれる気がしていた。もちろん、後に幻想だと知ることになるのだが。

 つまらない日記や、雑感を書いていた気がする。それでも、はてなブログには、はてなスターがあり、言及通知がある。小細工を重ねれば、案外と見に来てくれる人はいるもので、中にはそこから購読をする、奇特な人もいた。時間を重ねるごとに自然と交流は増え、ブログの比重も大きくなっていった。生活は最低そのものだったが、そこそこ記憶に残る生活だったように思う。そんなブログは半年ほど続いた。

 生活の転機に伴って、ブログを消した。前と同じ生活ができるかも分からず、自分自身が「終わらせてしまいたい」と思ったからだ。いつか終わるとすれば、綺麗に終わらせたかった。そういう見栄っ張りな性格なのだ。しかしながら、環境が変わっても、堕落した生活は変わらなかった。拍子抜けだ。まともな生活を目指すはずだったが、そんな決意は一瞬でなかったことになった。

 また、はてなブログに日記を書くようになった。弱いままニューゲームだ。前回のブログで、自分には特別な文章なんて書けないことを思い知った。代わりに日々のよしなしごと、素晴らしかった一日、それらをなるべく隙間が空かないように書こうと気を付けた。可能なら、一日すべてを書き残したいと思ったくらいだった。面白かったのは、前回のブログと範囲が重なっていったことだろうか。自分は、無意識に同じところを歩こうとしているようだ。気が付けば、見たことのある人が近くにいた。ブログは一年ほど続いた。

 ブログを閉じた理由は、「人は文章を書くことで、必ず何かを伝えようとしている」といった文章を見たからだった。日記、雑感を垂れ流してこそいたが、「誰に」「何を」伝えたいのか分からなかった。改めて、自分の文章を無価値だと思った。自分の文章を見ていると、自分自身にまで無価値の荊が絡みついてくるような感覚がした。それを嫌がり、断ち切るようにブログを消した。けれど、自分が無価値だという事実は変わらなかった。それは当然で、根元を辿れば無価値なのは自分なのだ。
 
 今の少し前、このブログに辿り着いた。自分自身よりも自分自身でありたい。つらいことからは逃げ、楽しいか楽なことに身を投じていきたい。水は低きに流れる。仕方のないことだと思った。未だにネットをフラフラとしている。生活も定まらない。生きることが無条件に善だとは言えないが、それでも今は、楽しみに思う瞬間が少しは在る。

 その楽しみを増やすために、苦しみを減らすために、自分自身を知るために、文章を書き残していこうと思っていた気がする。実践できているかは、怪しいところだが。

 取り留めもなく書いている。祈りかも知れないし、懺悔かも知れない。そんな大仰に書くまでもなく、ただ誰かに聞いて、知ってほしかっただけなのかもしれない。そんな危ない人間だ。身を滅ぼさないことを願う。