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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

 夜中に書いたところですぐに反応を得られることもない。どれだけ書いたところで反応はない。どんな時間に書いたところでどんなに頭を振り絞ったところで反応が得られる保証はない。自分が頑張ったところで手の中に答えが無ければ意味がない、というのが最近思うことだ。しかし意味がないから、反応が無いから書き続けられる側面もある。
 
 例えばこんな文章が誰かに影響を与えるのなら立ち止まってしまいたくなるだろう。文章に比例して評価されるなら時として文章を切り捨てたくもなるかもしれない。それは誰かに良い影響を与えられると思っていないからだし常に良い評価が増えていくとも思えていないからだろう。そして思考が現実になるのなら、それはこれからもずっと変わることなく自分の前に立ちはだかるものなのだと思う。

 既に意味もない文章を幾つか投稿している。その中で思いもよらず納得感を得られた文章もある。それでも、もっともっとという囁き声は止む気配がない。自分が疲れて諦めるまでずっと聞こえるのだろう。勝利なんてものも成功なんてものも存在しない。諦めるまで書き続けることになる。どんな文章を書こうと最後に行き着く先は諦めだ。終わりがずっと視界にちらつくことになる。意味も主張もない文章はどこで終わっていてもおかしくない。後一文、後一文と自らの気力が残る限り消耗していく。はたしてこれが選択と呼べるものなのかは微妙なところであるし何とも意地悪な風に出来た仕組みだ。

 他人のことを思い出す。そして沸き上がるのは嫉妬と憎悪だろう。それは自分がこんな所にいるのにと続くだろうし、それこそが自分の醜さであって本性であるのだと思う。それが本性だと断定すれば嘘になるがしかしそう遠く離れていないだろうことも事実なのだ。その距離を正確に測る言葉は持ち合わせていないし今の自分が何年と取り組んで文章を組み立ててみたところでそこに物差しを当てることは出来ないのだろう。憎い。憎いと独り言ってみたところで現実に干渉することは出来ない。それよりもよっぽど有意義な取り組みもあるはずなのだが他人本位で生きてきた手前自分の幸せ、自分の土俵、自分の規則と言われたって はい、そうですか とはいかない。嫉妬を抱かれる相手に非があるとは思っていない。それは自分の問題だろう。しかしながら原動力として嫉妬以外のものが浮かばないのは事実だ。それも何かに前向きに取り組めるような類のものでなく自分の負を誤魔化し消し飛ばすための怒りだ。精々と死なないように相手の見えない場所で文章を書くほかない。そして最後に行き着く先はきっと、諦めだ。