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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

『無名作家の日記』を読んだ

 『無名作家の日記』を読んだ。

 菊池寛の半自伝であり、事実に少しの創作と脚色を加えたものであるらしい。その頃合いは良いものだなと感じた。

 青空文庫で読める、私小説や日記を探していた。それはまず、自分の描く理想を見たかったからだ。参考にする、しない。出来る、出来ないはおいても、自らの生活を基にした、広く読まれる物語を見てみたかった。そして、素晴らしいとされる文章が読みたかったという面もある。

 と言うのも、私は想像力に欠けると思っている。実際に現物を見るか、想像の参考に出来る資料が無ければ、頭の中で描くことすら覚束ない。自分の日記を少しでも良くするに当たって、比較検討できる資料が欲しかった。それが文章を読もうと思うに至った理由になる。

 

 『無名作家の日記』を読むに至った経緯は偶然である。適当な言葉を検索して中身を確認していたら、本文へと辿り着いた。そんな調子で初めは題名も分からず、読み終わってから遡った。

 

 内容を簡単に説明すると、「ある無名作家の、友人たちへの嫉妬」になるのだと思う。

 

 初めに、創作にまつわる話だと知って興味を持った。東京の友人たちから離れ、独りで京都に来た日記を見て、自らの孤独を思い浮かべた。いや、勝手に自分の境遇を重ねたと言うべきか。

 天分や友人への嫉妬、そこから生まれる自己嫌悪を見ると、自分は作家を目指していたんじゃないかと勘違いするほどだ。それほどまでに自分と親和性の高い話だと感じ、物語へと引き込まれていた。

 私は本を読まない人間だ。特に昔の文章は表記が独特で、最後まで読み通せるものの方が少なく、いつも初めの数ページで読むのを止めてしまう。そんな私が最後まで読み通せたのは、やはり自分と通ずるものがあると願っていたからだし、この嫉妬の行方が見たかったからだろう。

 孤独と嫉妬に苛まれ、自らの天分が届かなかった先に、「俺」こと富井は何を思うのか。

 その終わりは私を慰めるものではなかった。そして、私はそうならないだろうとも思っている。富井にあった選択肢は、私にはない。

 日記の参考にこそならなさそうだ。しかし、私は素晴らしい文章だと感じ、共感する考え方も多かった。むしろ日記よりも、私のこれからの生活や考え方において参考になっていくのだろう。

 私にとって、必要な文章だったと思う。しかし、鉛や銅の生き方と、その後については書かれていない。この物語を下に敷いて、自分の選択肢を見つけていく他ないらしい。金や銀に憧れながら。