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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

2014年 11月16日(日) 「何だかなあ」

 ネット上で苗字が目に入ったとき、一瞬の期待が入る。何となく、弱ってるな、と思った。1人で呪いにかかる姿は滑稽だ。私が住む地域世界からは手が届かない。いや、手を伸ばす勇気がない、が妥当だろう。


 『「Chikirinの日記」の育て方』を読み返している。もう一年も経つのか。Amazonプリペイド分が残っていたので誘惑に負けた。電子書籍だし、読むこともないだろうなと思っていたのだけれど、どこかで線路が繋がったようだ。

 他人の書評を見て、運営方針を真似ている部分もある。が、天と地、月とすっぽんだろうな。

 ブログは自由だ。しかし、自由すぎるのかもしれない。

 好きのために構成された戦略が好きなのかもしれないな、と感じた。自分の好きを最適化する事に憧れているのかもしれない。

 胸を張って好きだと言えるものと、ブログがまだ結びつけられていないような気がしている。

 それは好きが見つかっていないのかもしれないし、手段として選んだブログが不適切なのかもしれない。しかし、勿論ブログが悪い訳もなく、僕の選択がおかしかった、それだけなのだろう。

 あるいは自分自身がこの程度だった、とも考えられる。日記に限れば、PVと人物の市場価値は対応するのかもしれない。

 進むビジョンが無い以上、コミットするよりもポートフォリオを組むべきなのだろう。

 何もない自分を見つめて過ごすのは辛い、なんて考えている。が、折角自由なのにわざわざ檻に入ろうとしているようにも見えるのだろう、と思った。はてさて、何もないのは檻なのか、自由なのか。

 案外、ネットに人格と住所さえあればそれで満たされているのかもしれない。人格のアップデートと、部屋の契約更新と考えればそれっぽいか。人格にこだわりは無いし、一番安い部屋でいい。それならやっぱり、費用代わりの労力はもっと少なくてもいいのかもしれない。

 余った労力をどこに費やそう。無駄にして捨てるのは勿体ないな。そしてブログを始めて以下無限ループ。

 
 場所の問題もあるし、知らない人と喋るのも苦手だ。今のところ、人に関連して得るものは無いだろうなと感じている。

 ううん、一体何が得られるんだろう。

 この間の、ブログから何が得られるかの流れで一番しっくりくる答えは、救い、だった。けれど、それだとフローとしての側面だけなんじゃ、と思ったりしないでもない。それは書くに関連していると思うけれど、ブログは最適なんだろうか。


 と言うよりも、問題はブログが関係しないところのものだろうな、と思う。それならいくらブログを振ってみたところで答えは出そうにない。