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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

物語が増えてほしいけれど、その逆でもある

 

 事実をありのままに書いているわけでもなく、見たいものを見て書いている。自分にとって都合良く歪められた文章群。それぐらいでないと退屈だ。

 

 何を残したいのか考えると、残し続けられるものになる。嬉しいことでもいいし、悲しいことだって構わないだろう。自分で消すのなら構わないが、他人から働きかけられるようなことは避けたい。残ったものが関わり合い始めると面白いのかな。

 徐々に関わりは増えている。まだ見えていない偏見があって、交錯する線が増えていけば気づきやすくなるのかもしれない。

 
 残した先に見えるものは何だろう。これが見たくて自分の記事をカテゴリー分けしようとしていたのだけれど、上手くいかない。各々を分けて書いていないのも理由の一つだろうが、一番の理由は単に分類が下手だからだろう。

 偏愛マップマインドマップが上手に書けたら分かりやすくなるのかな。上手に書くための分かりやすい方法と言えば数を書くことだ。結局は面倒くさがって書かないままでいる。

  
 これらの行程を越えて、誰かに働きかけるブログになるんだろうな。日頃から個人の日記だとわざわざ言いたくなるのは、何を彩るかで躓いているからかもしれない。

 利他的であることがブログには必要だと考えている。大なり小なり、どんな文章だろうとその特性を持っている。それでもそのままで満足できないなら、多少の工夫は必要なんだろう。

 
 唐突なツイート引用


 
 Facebookやブログはそういう方向性を示すツールに成り得たのだろうか。Web日記も10数年と続けば、一番の標本になったのかもしれないと考えてみたりする。だがもう今では古く、手遅れだろう。そんな時代は来ないと感じている。
 
 万人に幸せの道筋が提示されるようなときは来るのだろうか。僕は物語が不足していると感じる。

 私が生きているのは青春時代だけか、経済的に成功するまでが人生か、創作に打ち込み続けるのが人生か。そのどれもを含めていて、更に指標がもっと増えたならと思う。

 もっと長い物語を。もっと多くの物語を。それらに触れるだけの時間がないことは想像に難くない。それから重要なことを抜き出してもっと簡素に合理的に。すべてに類型の人生があるディストピア。経験の価値はこれからも増していくのだろうか。

 ワーッハッハハー。