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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

自分の場合は、発信というより承認欲求の発露になるのだろうか

日記

 8月中に累計5000PVまで届かせたいなと思ったので更新を決意する。決意をしたのは良いのだけれど、内容を吟味する時間はないので普段通り。いや、少し時間が押しているので普段よりも薄くなるのは予想できる。

 書きたいときに書きたい。そんな妄言ばかりを吐いている。PVが欲しいと思うのなら、それなりの誠意を持って書くのが大事なのだろうけれど、生憎と持ち合わせていないようだ。

 内容を優先するのか欲求を優先するのか。僕は後者らしい。見本となるには、あんまり宜しくない。反面教師として生きていくほかなさそうだ。本当は口だけで、本気でそう思えていないのだけれど。

 世間の模範解答は分かっているつもりになっていて、それこそが傲慢らしい。傲慢らしいと考えること自体が傲慢なら開き直るしかない。誰かに矯正されながら生きるほかないのか知らんと、振り切ったことを言いたくもなる。開き直ることは誠実なのだろうか、比べるのが大層難しい。


 最近、『想定読者を獲得するために最適な手段を!ちきりんさんのブログ戦略が参考になる| らふらく^^ ~ブログで飯を食う~』を見た。その中でブロガーとして認知されるか、ブログを認知されるかと言うような話がある。人を優先するのか、場所を優先するのかといったところだろうか。

 取り上げられているChikirinさんは場所に重きを置いているらしい。それは言論の場、いや発信の場としてブログを使っているからとのことのようだ。デマこい!のRootportさんあたりも場所を大事にしているのだろうと感じる。


 自分はどうだろうと考えてみる。普段から発信についてはよく分からないと書いてしまっていて、大分、グレーゾーンに近い使い方をしているような気がする。

 もし、知り合いが自分と同じようにプライベートをWebに垂れ流しているようなら、一回は止めるだろうと感じる。そうして使う中で場所を育てると言うのは、自滅行為に他ならないような気がする。

 現状において、私的使用と発信とは区別する方が望ましい。区別していても殆どの人は自滅することに変わりはないだろうと考えているのだけれど、その後に響いてくる傷の跡や大きさが変わってくるはずだ。


 それなら個人に注力してみようかと考えてみても、結果は同じか。


 大きくなった風船は破裂する。そんな話なのかもしれない。場が大きくなれば、大勢の人に伝えられる可能性が増える。しかし、私にとっては利得より損失の方が大きいのではないか。それなら、個人の顕名に力を持たせてみたいような。

 無名であると話し掛けるのにも気苦労する場合がある。実際は無名/有名よりも大きな要因がある気もするけれど、初動において有名な方が楽な場合はある気がする。

 どこに届けたいか。場所を育てると聞くと、とかく広く広く波及させられるような印象がある。様々な人へ自分の情報を発信していけるような。

 名前を育てると聞くと、大きな質量を持った物体が思い浮かんだ。実際に持ったことはなく外から見た印象に過ぎないのだけれど、そちらの方が絞り込んで発信できそうな気がする。

 
 不特定多数に届けるよりも、誰かと繋がりたい欲求の方が強いような気がする。


 書いている中で上手く区分けができていない。
 
 発信していると言うよりも、尊敬する相手に認知されたいという承認欲求の発露といった方が適切なんだろうか。尊敬する相手と書くのも何だか少し変だ。憧れる相手と書くだけでは少し物足りなくて、価値観が同じ人と書くのも違うような気がする。

 恋に恋する乙女、横顔に恋する人の話。雰囲気はそれに近いような気がする。届いたら消えてしまいそうだ。


 広げすぎず狙い撃つのが自分にとって最適解なのだろうかと考えてみても、広げるよりも複雑そうで、広げようと考えてさえ広げることすらできない今は、とても無理そうだ。

 PV云々言うよりも、日記を更新するよりも、憧れる人の目に入るところへコメントでもする方が有意義なのかもしれない。けれど、それだけではPVの魔力から抜け出しきれていない自分もここに。