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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

いかに傷つかないか、が私の基準なのかもしれない

 頭の中で天職を探していた。勿論、見つかるはずもない。

  過程はどうあれ自立していない自分 - 鷹と矢と蠍で「接客は嫌だ! 人と対面する仕事は嫌だ!」と書いているのだけれど、適性があるのはきっと接客なんだろうなあと思う。

 適性と書くと意味が変わるのかもしれない。間口が広いにも関わらず、それだけ嫌われるなら自分でも選択すること自体は出来るのだろうという願望に過ぎない。優れていると言うより、空いていると言う方が適切な気がする。他に比べれば、の話だろうけれど。


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 私は小さな頃の記憶をあまり覚えていない。記憶喪失の類ではなく、ある種の惰性で生きていたからなのかなと思う。

 今は違う、とも言い切れないし、そこそこ真面目に過ごしていたような気もする。単に忘れっぽい説も濃厚である。何らかの欠陥説は置いておこう。

 なので過去には大分、想像が混じる。今とかけ離れているとは思わないけれど、本当に同一だったかと考えると自信が持てない。

 そのなかで小さな頃に好きだったものを思い出すのも難しく感じる。しかし案外、きっかけさえ掴めれば糸を引くように簡単に思い出せるものなのかもしれない。そのきっかけを掴みきれていないのには変わりないのだけれども。


 今は書くことに対して期待しているような気がする。環境として、それが出来るから、と言うのが一番大きいのだろうと思う。

 例えば、話すか書くかなら、どちらを選ぶだろう。人前に出ることになるとしたら、きっと僕は話すことは選ばないだろうと感じる。人前に出ないなら、書くことよりも話すことの方が身近だと考えている気がする。他人からの視線、いやその存在でも意志力が消費されているのかもしれない。

 外に出たくないと言うよりは、人に会いたくない。人に会いたくないというよりは、何だろうなあ。

 そうは言っても一応、アルバイトはしているし、友人と遊びに行くこともある。少しの矛盾が重なる。
 
 完全に出来ない、ではない。したくない、も言い過ぎているような気がする。人が嫌いかと言えば、そうでもないはずで、苦手かと言われると、それも人によるよなあ。

 書く、の方が、きっと距離を置けると感じるのだろう。 私にとっての「文章のコストパフォーマンス」を考えていたら脇道に逸れた - 鷹と矢と蠍の中で書いている“ナルシズムから来る弱さ”から離れるのに有効なのだろう、と感じているようだ。

 とは言え、目的を持って書くということは出来ていないらしい。

 
 自分が傷つかないことを第一に考えているようだ。普段からの予防線だったり、挑戦の無さだったり。

 そもそも傷つかない精神を磨くか、傷つかない仕組みをつくるか。僕の中で、書くことは傷つかない仕組みの方に近いんだろうと思う。けれど、対人で働くにあたっては、傷つかない精神の方が役に立つんだろうなあ。

 しかしながら、書くことで傷ついていないと言うのも、まだ指摘を受けるような質を伴っていないから、だったり、自己を表現、もとい誰かに伝えようとしていないからといった側面の方が強いのかもしれない。

 仕組みというよりは、運良く上手くいっていることを信仰しているだけのような気もする。

 天職よりも、私の場合は精神強度の方が必要なのかもしれない。極端なことを言えば、他人に何も感じないくらいになりたいものだ。