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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

希望よりも更に経済的な余裕が必要なんだろうなと思った覚え書き

雑記

 記事を見た。

 俺「あの、そちらの老人ホームに空きありませんか?」:キニ速
 ( http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/4151381.html

 『過程はどうあれ自立していない自分 - 鷹と矢と蠍』の中で“手取りで月収13万くらい欲しいぽよよ。”と書いているのだけれど、貯金なし、工夫なしの現状だと長くても40歳くらいで詰むらしい。

 奇しくも『2035年が待ち遠しく感じた - 鷹と矢と蠍』と似たような時期だ。運命論よろしく、私の人生にとっては長くてもこの辺りが最後の転換点なのかな、なんて考えが浮かぶ。

 その度に書くのだけれど、私はあまり具体的に終わりを考えられていない。根暗で悲観的に書いているように見られるのだけれど、当人は飽くまでも楽観的で、そのことを非難される覚えはあっても、心配は今のところ必要なさそうだと書いておく。
 
 
 個人的に興味があったイケハヤ氏や他の方の関連しそうなツイートのベタ張りと思ったこと。

 

 年収で2000万円も貰えるなら、よほどでなければ東京に住みたいでござる。

 僕の地元で言うと、お祭りは少し厳しいと言ったところだろうか。他を貶していたときはどうかと思っていたけれど、選択肢に満足するーー他の選択肢を切り捨てて専心するーー考え方は大事なんだろうと思う。

 私の地元も物理的に閉ざされている印象。どれだけ外貨を得られるかが発展の鍵なんだろうか。発展のための発展と言うよりも、整備の方が重要なのかもしれない。必要な整備が分からないけれども。

 文化の死。ツイート先のリンクは考え方の一例。文化もいつかは滅ぶもの。俺について考えるとき、多様性の尊重や、残せるものは次に繋いで残していくのが望ましいと考えることが多い。滅びを見守るのも愛情という考え方、それに納得は出来ないけれど、これから必要になってくるのかもしれない。

 ある意味、僕らの子供の世代が“終わりを告げられる人間”になってくれることを、私は望んでいるのかもしれない。それがどの範囲上での話なのか、少し気になっている。

 私は田舎が都会の公共地になると考えていた。けれど時が経つにつれて、都会の方が大きな公共地、中継地として見なされることもあるのかもしれない。

 あくまで「毎月12万円」は開始地点の話なのだろう。若者でなくなる前に更なる付加価値を見つけられないと危なそう。

 この言い方は正確ではないと思うけれど、地方都市の話なんだろうなと思った。田舎と等しく考えると違和感がある。

 自らを律することを学ぶのが、最小化の前提条件なんだろうな。洗練の基本は恐らく捨てること。

 C男の正しさについて、またはLiving the Simple Life/zenhabits - 鷹と矢と蠍

 僕の印象で言えば、家賃一万円は可能になる場合があると思う。勿論、特定の条件下での話なのだけれど。「起業」については、そもそもの肌感覚がない。

 本当に流れが来ると仮定するなら、今は考え直した方が良いのではと思わなくもない。先行者は成功も大きい分、失敗の連続のような印象。移住や安らぎが目的なら、まだ少し早いんじゃなかろうか。

 地方に住んでいて、且つ地元には自分勝手ながら存続してほしいなあと漠然と考えている。

 「場を作る」活動は需要が増える可能性も今よりは高くなるんだろうなあ。

 言い方は悪いのだけれど、“ネットでのビッグネーム”が地方の活性化に関わっている今は、それなりに時期としては良好なのだろう。とは言え、僕はずっとネットに入り浸っているので、それが普段ネットを使っていない層に届いているのかは知る由もない。

 田舎に向けた活動もそろそろ成熟期を迎えているのかなと思う。全く根拠はないけれど、この時期を逃すと次は4世代後になるのだろうか。

  専心できるなら、好機と言えば好機なんだろう。

 介護にしろ地方にしろ年金にしろ、もう誰かが能動的に終わらせなければいけない段階なのかなと思う。けれど、誰も貧乏くじは引きたくないんだろう。

 つまり、そういうことなんだろう。実際に私は、「自分は浅はかです」と言っているだけなんだろうな。