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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

能動的に熱中するのは難しい

日記

 他人の創作物を見ると熱中することがある。先が気になっては目の前のことが手に着かなくなったり、続きがあるようなら続きを求め、関連するものがあるならそれを探して回った。

 創作は決して魔法ではない。いや他人の創作は魔法でも、自身から見れば決してそうだとは限らない。それは自身の動機を奪う、いや諦めるに当たって充分な理由だろう。

自分に問いかける日記 - 鷹と矢と蠍

 過程を通り越して、結果だけを見ていると感覚が歪む。熱中できたことが他に思い当たらない。その近辺を優先的に探っていくのは間違っているのだろうか。鑑賞と創造は似て非なるもので、表裏という訳でもないのかもしれない。

 過程とやらが厄介だ。過程を無くす、過程を減らす、過程を楽しむ。何でもいい、この過程をどうにか出来ないものだろうか。

 過程を感じさせないほど熱中する。熱中できるように過程を無くしたいのに何とも可笑しな話だ。過程を楽しむというのも同じだろう。元より過程を楽しめるのなら考える必要もない。過程を楽しめるように加工する必要性を感じる。過程を減らすというのも、あまり具体例が思い当たらない。

 例えば煙草や酒で快楽を感じられたならこんなことも考えなかったのだろうか。吸えないし、飲めない。結局は煙草を吸ってないようだ。酒に至ってはもっと前になるだろう。かと言って健康でも無さそうなところがどうしようもない。まだ増しだとは言えるだろうか。

 そう言えばイチローは野球の練習は好きじゃないという言葉があったような気がする。代わりに目標を持って努力をするのは好きだと言っていたようだ。
 
 努力をして結果が出ることに対して、私はあまり嬉しいと感じていないような気がする。努力をすれば当然出て、むしろ結果が反映されない事がおかしいと考えているからだろう。

 自分でも傲慢だと感じる。そうはいっても根底に似たような思想があるような気がしてならない。それをそのまま言語化できているかには自信がないのだけどね。

 そんな考えをしていると失敗したときのリスクくらいしか思い付かない。成功して初めて初期値。そんな状況を楽しむのは難しい。

 いやはや、熱中とは何なんだろうな。