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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

自分が満たしている欲求と動機について考える

所見

「マズローの欲求階層説を知ったところでどうなるの?」を考える。(2) | As I Am.

 自分の中での動機について考えた。しかし、何の比較も無しに考えられるような頭ではない。より考えられるように比較する道具を探した。そこで見つけたのが、マズローの欲求階層説。そして上記だ。

 しかしながら上記を読んでも、私が今どの階層にいるのか、明確には分からない。

 生理的欲求は満たせている。実家に寄生しているため、寝床と食事には困っていない。いつかは必ず破綻するのだが、いつかの兆しは未だ見えない。元々、兆しなんてものはなく、突然やって来るものなのかもしれない。それは置いておいても、生理的欲求は満たせていると言える。

 次の安全欲求からが、満たせているのか微妙なところだ。安定してほしい、継続してほしいとは思うが、自ら行動できているようには思えない。現在、不定職だが正社員になるという動機が弱い。勿論、なれるものならなりたいが、それに向かって努力する気概にかける。

 もしくは現在の不定職でも充分に安定していると判断してしまっているのだろうか。実際に、安定していない。収入より支出の方が多く、赤字を補填してもらっている。これからも安定しているとは言い難い。しかし、破綻するのが明日とも言いにくい事実がある。

 ここで上記に戻ると、“ 2.一度満たされた欲求は、それ以降はモチベーションにならない”と書いてある。もし過去に欲求が達成されていたとしたら、「安全のために」と言うのは私の動機足り得ないことになる。

 学生時代を振り返ると、一時的にとは言え「愛情欲求」も「尊敬欲求」も達成している。学校生活や行事などがお誂え向きに配置されていた。その流れの中で、一応は達成したはずだ。

 最低で生理的欲求、最高で尊敬欲求が満たされている。もし尊敬欲求まで満たされているとすると、動機の原因になりうるのは、自己実現の欲求のみしか残されていないことになる。

 安全欲求、愛情欲求、尊敬欲求が現在は充分に満たされないままで、自己実現に関連付けて動機を模索する形になるのだろうか。高次の欲求になるほど、自然と選択の幅は狭くなる。階層を渡り選択肢を狭めるときに、自分の望む選択肢の質を高める必要があったのだろう。

 自己実現を望む前に安定をしろと考えられるが、もし自己実現しか動機に変わらないのなら、それは随分と軋轢を生みそうだ。

 経済学でも、人は過去の最高所得に引きずられるといった仮説があった筈だ。人は自分の最盛期を忘れられない一面でもあるのかもしれない。

 自己実現の欲求と言っても、自分が何を実現したいのかは具体的に想像できない。階層はあるかもしれないが欲求なのかは疑問が残る。望みこそすれど実行しないことも、やはり欲求なのだろうか。

 動機を手に入れる道筋が見えない。魔法を探すのは止めて、地道に道を開いて進めということだろうか。まあ、それが嫌でこうしているわけだけれど。