今という器の中から

過ごした時間を振り返る雑記ブログ

誰かに規定されたキチガイ/『ドグラ・マグラ』

 
 ※一応は読んだ内容と感想なので、未読の方は注意



 途中の睡眠時間も合わせて、約10時間ほどで読了。正直に言うと話の全容は理解できておらず、途中の論文や昔話に当たるであろう部分は尚の事である。最後まで読み進めるだけでも、私には果てしない苦労だったと言える。

 この話を要約することの難しさは、読んだことのある人には分かるだろうと思う。それくらい、この話は奇怪で複雑に感じた。ついていくのがやっとどころか、周回遅れでも付いていけそうにない。

 或る人物が精神病棟らしき場所で目を覚ます。その「私」は自分に関する記憶が抜け落ちており、様々な人間関係が交錯しつつ、徐々に情報が紐解かれていく。

 要約の難しさよりも先に、私の筆力不足が露呈しそうだ。当たり障りなく要約を書きたいものだが、これでは『ドグラ・マグラ』の印象が半分も伝わらないと思う。もっとこの話はキチガイじみている。

 最後まで読み終えると一度は発狂するそうだ。幸か不幸か、そこまで深くは読み取れていなかったらしい。しかしながら文章を読み進めていると、常人の先を行ったキチガイなのだろうと感じた。常人の土台の上に狂気が乗っているのだろう。あくまで、読んでそう感じた、くらいにしか言えないが。

 作中で人は皆キチガイだという表現があったように思う。読み進めることだけを意識して、記録を取ることや記憶をすることをしなかったことが今になって悔やまれる。今更になって、読み返すような気力はない。盛大に間違えていたら、そのときはそのときだ。

 それは心が物質ではなく、可視化されにくいからという話だったように思う。他人が他人の心を見ることは出来ず、それを正確に測ることは出来ない。且つ、それは皆一様に同じではなく、それぞれに違いが少なからず存在する。

 その中で懸念されているようだったのが、必ず存在するであろう欠落に対して焦点を当て、多数もしくは力を用いて一つの対象を陥れることだろう。

 この前後の記述を見ていると、これは筆者の価値観や社会風刺の文章なのだろうかと読みながら考えていた。今はまだ理解が至らず、そう思うだけなのかもしれない。しかしながら、やけに文章が浮いているように感じた。

 念のために書いておくけれども、普段から読書をせず、読み終わるまでに二度ほど睡魔に襲われて寝るような人間の感想である。

 読んだ直後だというのに、1つ核となるような感想がない。漠然とした理解も出来ていないから、主張することに欠ける。だからこそ、せめて覚えている内容だけでも留めておいて、次があるようなら活かしたいところだ。

 取り敢えずは最後まで読めたことだし、後は他人の考察エントリを楽しみに待つことにする。