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星明かりの更新

真っ直ぐ立つために、少しの呪いを添えて。現人神へと変わるまで、リターンズ。

結局はブログに書く事なんて無かったのだ

雑記

 睡眠時間を記録するのは難しい。何時に寝たか分からないし、起きた時間も忘れてしまう。二度寝や昼寝も日常茶飯事である。記録の方法を改善するか、習慣を改善するか。
 習慣を改善できればそれが一番なのだけれど、記録の方法が改善できたのなら、好調不調に関わらず、記録が続けられるのだろう。睡眠時間の記録の目的は、健康や体調の変化、その日の稼働率を測るためのものだと考えている。習慣が改善され、仮に最高が保てるのなら、記録は必要ないのだろう。
 日記を振り返って、アクセス解析を見る。基本的には6hotに満たず、力不足を感じる。前よりも記事の質は落ちているのだろうと思う。その理由を、私は一周目が終わったからだと考えている。伝えたいことがある、それがブログを書く動機として必要なのではないかと最近は思う。勿論、それだけが理由だとは思えないけれど。
 短期的にアクセスを上げる方法は思いつく。実際に上がるかどうかは分からないが、6hotは平均して出せるはずだ。しかし、それが限界である。小手先の努力を精一杯したところで、私にはそれが関の山だ。
 誰かに見てほしいと思うだけで、伝えることも、それを補う筆力も持ち合わせていない。かと言って、それ以外に満たす術も見当たらなければ、真っ当な努力を選ぶことも出来ない。それは自らが忌避しているからだろう。誰のためにもならない、それなら、誰も目を向けないのはむしろ当然の結果だと言える。それで目を向けられたところで、自分に報いが来るだけだろう。
 この気持ちのやり場が見つかれば、もう少し何か変わるのではないかと期待してしまう。物事に期待をすることは、その差に苛まれる第一歩だろうとは思っていても。
 ブログ論を延々と語るブログのようなもので、中身が見つからない。中身が欲しいと願ってはみるのだが、いざ本当に見つかって、それが自分の望むものでなかったときが恐ろしくてたまらないのだろう。
 今、求めているのは何だろう。目先のPVか、威信値か、学びか、人脈か、将来の成功というマジックワードか。
 結局のところはそれも曖昧で、自分の中にある成功や妄想が掛け合わされて、その時々の矛盾した何かに踊らされているだけなのだろう。
 今も昔も、何かを選び取る勇気が私には足りていない。足りていないという表現も適切ではなく、ただの臆病者だ。この話も、もう何周しただろうか。
 一周目は運が良かった。分相応の結果が得られたし、それで満足していた。反面、力不足は常に感じていた。それを改善しようとも試みたが、その結果が今であって、力不足から順当な結果が出て、それを愚痴っている。傲慢なのだろう。
 しかしながら、私の承認欲求は底無しのようで諦め切れていない。手放しで喜べはしないが、多くの道具は使い方次第だと聞く。力不足なら、改善しようと出任せを言うしかないのだ。きっと、それも変わることはないのだろう。