半径マイナスの生活空間

現人神へと変わるまで、リターンズ。

20180218

 退屈だ。それでも苦痛よりは退屈の方がマシだと思って家の中で天井を見上げている。家の中でも退屈を紛らわせる方法は幾らでも存在するのだろうが、あいにく手が着かない。楽しいことをしたい。楽しいことが分からない。分からないならやってみるしかない。やってみないと楽しいか分からないからやる気が起きない。やる気が交通渋滞を起こしている。やる気がないとも言える。やる気を出す一番の方法は実際にやることで~省略。知っているとしているは違う。世の中楽しいことばかりじゃない。やらなきゃいけないこともあるだろう。やらなきゃいけないわけじゃないから、やらなくてもいいじゃんに落ち着く。そうやってまた退屈だと呟く。お姫様が白馬に乗った王子様を待つような、空から美少女が降ってくるのを待つような、トラックに轢かれて異世界に転生するのを待つような、自分じゃない誰かの告げる鐘の音を待っている。幸いにも無職時と比べて希死念慮や将来の不安は麻痺してきている気がする。実際には貰ってないものの来月の給料の当てがあるというのは大きいか。まあ、日中はそんなことを考える余裕が無いってのもありがたいと言えばありがたいのかもしれない。体験したことはないが余生を前借りしている気分だ。この先何をして生きればいいんだろう。新しいことを見つけては食い散らかし、忘れた頃に思い出しては食い散らかし、振り返ってみれば何も残っていない。それなりに時間を消費してるだけ良しとしてみるべきなのか。空いている時間に何をするべきか、何をしたいか。よく分からない。人生は長い。スタートで転ぶとハンデを背負い続けた人生になる。そんな考えをしたところで幸せにはならないと分かっていても簡単に矯正できることじゃない。今のところ自分の生活が数年は続けられそうな予感がある。それでいいじゃないかと納得してみようとするが、数年の間、社会の歯車になったとして、それの何が自分のためになるのだろう。大人になれば何か変わると思って生きてきたものの空っぽに感じるのは変わらなかったなあ。過去は変わらない。望んだ人生は手に入らない。どうでもいいというスタンスを取ろうとするが、どうにも上手くいかない。生まれてきたのが失敗だった。今が幸せならそんなことは思わなかっただろう。この先も認識が上書きされる機会はあると思う。その数瞬のために記憶を繋いでいる。幸せとの出会いを待っている。